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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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死後の世界には大きく分けて3つ想定されています。
一つは 「人は死んだらゴミになる」ということです。 これはとても物理的な考えで、 人間の思いや心をできるだけ考えないでだされた一つの世界です。 心情的には、受け入れがたい 二つ目は この現実とは別にあの世があるという考えです。 キリスト教では天国といいます。そして地獄。 このどちらへ行くかは、神の審判をうけなければならないといいます。 神の前に立つ自分、 養老孟子さんは、その自分はいったいいつの時の自分なのかと 言っていました。できれば生まれたての時の自分、イノセントな時の自分であるといいなと言ってました。 大乗仏教ではあの世を浄土と言います。 天国と浄土、 この二つには、大きな違いが一つあるように思います。 一つは、生きていた時の人格のままにあの世にいくのか、 それとも、現実世界でつくられた人格を脱ぎ去って もとのすっぴんのままの命で浄土に行くのか、 ということです。 あるキリスト教徒は、死んだら両親や親しかった人に会えるから ある意味、楽しみでもあると言います。 人格を無くした命っでなんだろうと思いますが、 これは、ちょっと人間の思いを超えています。 私たちが故人を供養するときは、故人の人格を思い浮かべて供養するのですから。 そしてもう一つ、浄土教には別の教えがあります。 往相と還相という考え方です。 これは 人が死ぬこと、つまり往生すること、往相と その浄土から戻ってくること、還相の働きがあるといいます。 つまりあの世とこの世を行ったり来たりするといいますか、 命は浄土と現実世界を互いに行き来している、ということです。 親鸞聖人は 還相の働き、あの世へ行きつつ、また戻っているのだということを 強調されました。 単純にあの世とこの世を分けて考えてはだめだということでしょうか。 こうなると人間の思考能力を超えています。
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by jyukushian
| 2025-01-31 12:07
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139号の「熟柿庵だより」のご案内です、
山田太一さんや向田邦子さんが幼い時に終戦を迎えられたこと、 「手袋をさがす」の感想、 そして、山田さんの「生きる悲しみ」についてのまとめをかきました。 この本には、 佐藤愛子さんや高史明、それに水上勉さんなどの随筆が アンソロジーでおさめられています。 そして、最後に「生きるかなしみ」と仏教について少しふれました。 あまりまとまっていませんが、 生きるかなしみについてまとめてみました。 #
by jyukushian
| 2025-01-19 12:20
| WEB版 熟柿庵だより
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大峯先生の言語論 言語には3種類ある。 1つは、記号としての言語、 たとえばここに一つのリンゴがあって、それをりんごという言葉で表現する。 りんごという言葉は、実態ではないから食べられない。単なる伝える役目の言葉でしかない。 たとえば「おはよう」という。相手が「おはよう」といえば、それで「おはよう」という言葉の役目は終わる。 つまりその言葉は役目を果たして死んでいく。 2つ目は、概念としての言葉。 これはよく学問なんかで使われる。 たとえば、「中世」という言葉、これは、中世という実態があるわけではなく、ある共通した状況をさして、中世という言葉を作り出す。 たとえば「神」であったり「仏」という言葉も概念の言語である。 そして3つ目の言語、 大峯先生は俳句をなさっていたので、俳句をたとえに説明される。 たとえば、松尾芭蕉の俳句にある「ふるいけ」という言葉、 これは「ふるいけ」という実態の記号としての言語ではなく、 「ふるいけ」そのものが、語りだす言語である、私が「ふるいけ」を名づけて「古池」というのではなく、 「ふるいけ」自体が語りだした言葉である、という。 ちょっと難しくなってきました。 そして、 「なむあみだぶつ」という言葉は なにか得体のしれない実態があってそれを言語化して「なむあみだぶつ」という記号にして 言語化しているのではなく、 「なむあみだぶつ」という言葉自体が実態でもあるのだ、という。 ハイデッガーは、「言葉への途上」の本の中で、そのことを語っているという。 言葉は単なる記号や指示語ではなく、言葉自体がたましいをもっているのだ、とのこと。 #
by jyukushian
| 2024-12-17 19:12
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大峯顕ご住職の
「親鸞のコスモロジー」を読んでいます。 最後に読んだのが、2020年となっています。 いろいろ迷いながら、仏教を学んできましたが、 大峯ご住職の言葉は、私の心にぐんぐん入ってきます。 親鸞聖人の教えにあらためて心動かされます。 ゆっくりゆっくり味わいながら、拝読してまいります。 大切な本を読み返すこと、あらたな出会いに驚かされます。
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by jyukushian
| 2024-12-07 18:07
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最近のうだるような暑さにまいっています。 身体も悲鳴をあげていますが、 気になるのは、この暑さが続くと車のタイヤのゴムが大丈夫だろうかということ。 道路だってアスファルトがあぶないさそうだし、 新幹線を含む鉄道だって、レールが膨張して歪んでしまうのではないかとか。 空の空気はこの暑さで大丈夫なのか。 アメリカでは飛行機が、空気の膨張で、飛べなくなり、40便ほど欠航しているらしい。 国内の電車もスピードを落としたり警戒している。 この暑さは、体だけでなく、様々なところに影響を及ぼしています。 気をつけようがありません。
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by jyukushian
| 2024-08-01 11:31
| WEB版 熟柿庵だより
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