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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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国境の緩衝地帯で足止めを食らった
パキスタンのクエッタの町から イランに入国するつもりだった まず クエッタから汽車に乗り 国境の町、タフタン駅につく。 そこから トヨタ製の荷台付きのタクシーに乗って イランの国境まで到着した 国境付近、 周りは全て砂漠。 国境の境目は50センチほどうずたかく積まれた小山の線が 地平線の果てまで続いているだけ。 得体の知れない、 そしてどこの国から来たのかわからない目つきの悪そうな 人たちがうろついている。 中国人ふう、チベット人ふう、そしてアーリア系の人々 無国籍の雰囲気。 そして 何故か、ごみが風に舞って散らばっている。 異様な世界。 まるで、世界の最果てに来てしまったような錯覚に襲われる。 出国の手続きを済ませ 幅、5メートルほどの緩衝地帯を歩いて イランの入国事務所に向かった。 そこで事件は起きた イランの入国管理事務所は 門限が終わり、閉まっていたのだ 確かに パキスタン側の汽車は遅れ、 パキスタンの出国にも手間取った しかし これはパキスタン側のミスで パキスタンは私を出国させてくれたのだ。 しかし イラン側にとっては、そんなことは関係ないのである。 門限は門限。 いくら説明しても入国させてくれなかった しまいには 私が詰め寄ると イラン側の国境警備隊の兵士が 私に銃を突きつけてきた そういうわけで 私はまたパキスタンの国に戻ろうとした しかし パキスタンの門もすでにその時は閉まっていて 私を戻しいれてはくれなかった。 パキスタンにも戻れず、 はたまた イランにも入れず、 私は国境の緩衝地帯に放り出されてしまった しかし 放り出されたのは私だけではなかった 何人もの人が 同じ目にあっていたのだ、 そうこうしているうちに日は暮れてくる 私は何人かが歩いていく方向に 後についていった。 そこには 国境の緩衝地帯であるにもかかわらず ホテルがあった。 私はためらうことなく そのホテルに その夜、泊った ベッドにつきながら思った ここは緩衝地帯 どこの国でもない。 つまり 警察権力の及ばない地帯なのだ 今、ここで強盗などの事件が起こったら いったいどうなるのだろう。 ここは無法地帯なのではないか だけど 疲れには勝てず その夜、やや不安を抱きつつも 眠りについた 今でも私のパスポートには パキスタン出国の日付と イラン入国の日付が違っている ![]() 上記のロゴマークへの クリックをよろしく お願いします
by jyukushian
| 2009-02-21 23:38
| WEB版 熟柿庵だより
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