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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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先日の「歎異抄にまなぶ会」のご報告です。
6時半に坐禅を始めました。 師家が不在だったため 来られた順にそれぞれご自由に坐禅を始めてください。 私は、来られる方から連絡があるかもしれないと 脇に携帯電話を置き、その隣りには合図のおりんを置き そして 時計を見ながら時間を計って合図のりんを鳴らします。 心静かに坐禅をしながら この三つのことをこなしました。 次第に心が落ち着いてきて 時間の流れが少しゆっくりしてきて そして 「讃仏偈」のお勤めをゆっくり唱え、 7時から歎異抄の勉強に入りました。 最初に原文を読み、それから現代語訳を読み、 そして 寛弘先生の講義録を読み、 一息ついて 少し、私の思いを述べさせていただき そして 参加者の思い思いのご意見をお聞きしました。 今回は 歎異抄の第三章、 悪人正機説の章の第二回目です 本文では 悪人と善人を分けて別の人物として述べられていますが 私は、善人も悪人も実は両方が私の中にあるこゝろであると理解しました。 私のものの考え方の大半は善人として生きていくことを基盤においています。 いつのときも自分を正当化して、「ともかくも自分が生きねばならない」という 思いで、日々くらしているのです。 そんな私が悪人であろうはずがないと思いながら暮らしています。 だけど、そのことは結果的に人を傷つけ、差別し、自己中心的な考えに溺れ エゴイズムによって生きている自分が見えてきます。 そして一方に 私は、本当は人と争いたくなんかない、人と喧嘩したくなんかない 憎しみあいたくはない、嫉妬なんかしたくない、差別なんかしたくない 本当は 心を分かち合って、仲良くしたい、悲しみを分かち合いたい いたわりあいたい、愛し合いたい そういう思いがあります。 自分が生きねばならないという思いによって 人を差別し、傷つけていきている自分と 本当はそうじゃないんだ、みんなと分かち合って生きて生きたいんだという 素朴な思い。 歎異抄では j人を傷つけ、そのことにすら気がつかない心を善人と言い、 それに対して 人と仲良くしたいのに、自分可愛さの為に、 それと反対のことばかりしている自分に気づいているその心を 悪人と称しています。 仏教では 全ての命は不可分につながっていると説いています。 誰一人として、他の人の支えなくして生きている人などいません だから 本当は、自分の悲しみは人の悲しみであり 人の喜びは自分の喜びであるはずなのです。 そのことを ちゃんと受け止められないでいる 愚かな私、それを悪人と呼ぶのです。 ですから 悪人こそは 往生できる、すなわち生きていることの本当の喜びを得ることが出来ると 親鸞聖人は語っておられるのであると 私は思いました。 だけど 世の中は それとは反対の 孤立化、つながりとは反対の孤立化の道を どんどん歩んでいるように思います 本当に どうすればいいのでしょうか 上記のロゴマークへの クリックをよろしく お願いします
by jyukushian
| 2009-06-01 23:05
| 行事のご報告
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