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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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第九章 自由
《 悟るということがないが故に、菩薩は仏の完全なる理解によって心になんらの障害もお持ちにならない。 障害がないがゆえに恐れそのものを克服され、人間の心が生み出す幻想、錯覚からも解放され、涅槃の 世界を得られたのである。 過去、現在、未来の三世における全ての仏は、この完全なる理解の上に、欠けることのない、光に満ちた 絶対の世界(アノクタラ サンミャクサンボダイ)を得られたのである。》 原文の現代語訳 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 心の圭礙(けいげ)障害は私たちの頭が作り出す考え、概念によって生み出されるものです。 たとえば、生と死、汚れと清浄、増加と減少、上と下、内と外、仏陀とマーラなどです。 ひとたび、不可分存在の眼をもってものごとをみれば、こうした心の障害は消え去り 恐れはなくなり、迷妄(幻想)から永遠に解き放たれ完全なる涅槃の世界を獲得できるでしょう。 ひとたび波が、自分はただの水である、水以外の何ものでもないということを理解すれば 生や死のことで心悩ませることもないでしょう。そして 波はありとあらゆる恐れを超越するのです。 完全なる涅槃というのはこういう状態、すなわち恐れのまったくない状態をいうのです。 あなたは解放され、もはや生と死、汚れや清浄に振りまわされることはないでしょう。 あなたはすべてから自由になるのです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 第九章 終わり 私の考え、意識、思いが 納得しようとしまいと ここに書かれていることは 仏教がたどり着いた真実である。 私たちは、幻想と、、妄念のなかに生きているのです。 だけど それがわかったとしても 私たちが妄念のなかに、錯覚のなかに生きていると 論理的にわかったとしても 私たちの心は 相いも変わらず 妄念の世界にしか生きられないのです。 とても悲しいことかも知れませんが 人間の心とはそういう愚かなものなのです。 親鸞聖人はその愚かさについて 否定されず、その愚かな人間が安らげる涅槃に至れる道を 模索されて念仏の世界にたどり着かれたのだと思います。 ![]() 上記のロゴマークへの クリックをよろしく お願いします
by jyukushian
| 2009-07-30 00:20
| ティック・ナット・ハン氏
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