カテゴリ
以前の記事
2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2021年 05月 2021年 02月 2020年 04月 2020年 03月 2019年 06月 more... ライフログ
著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
その他のジャンル
|
宗教というのは
一般的に、盲目的に何かを信じることだというイメージがある。 しかし、こと仏教に関しては そのイメージは見当違いのように思う。 仏教は いわば、人間とはどういう存在か その真実のありようを探求して 分析されて、明らかにされた真実をベースにしている。 人間は錯覚しながら生きている存在である というのが一つの結論である。 たとえば 音という現象について 私たちは外に音があると思っている うるさい場所だとか静かな部屋だとか。 しかし 正確に云えば、 外には音は存在しない 外に存在するのは空気の振動だけである それが音になるのは 空気の振動が人間の耳に入り その振動を脳が受け止めて それを音に変換して 意識に伝えるのである つまり 音は外には存在せず、脳の中だけに存在する これが科学的真実である そのようにして 一体ほんとうのことはどうなっているのか ということを とことん突き詰めていく それこそ 科学的な論理を越えて 深く深く 人間の浅はかな論理を超えて 人間の意識という事柄にまで 追求していく。 古代のインド人は 人間の意識の働きを 八つに分けて説明している。 私がふだん、いかに誤解しながら生きているか そのことを 教えてくれるだけでも 仏教は私のなかで存在意味をもっている 真実を知ること これが 私が人を愛さずにはいられない その理由を教えてくれる意味であると 思う ![]()
by jyukushian
| 2009-09-08 00:23
| WEB版 熟柿庵だより
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||