カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2023年 12月 2023年 09月 2023年 07月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 10月 2022年 09月 more... ライフログ
著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
その他のジャンル
|
断っておきますが、 この風景は勉強会が一応終わって 飲食しながらのフリートークの時のものです。 フリートークの内容も刺激的で 時に考えさせられたり、愚痴をこぼしたりブログで紹介したいくらいなのですが それは、やはり参加者のみなさんだけの特別な時間帯です。ご紹介できるものではありません。 今回は お一人、初参加の方がおられました。ネットでご覧になって参加してくださいました。 若くてきれいな女性です。 きっと勉強会の雰囲気に戸惑われたのではないでしょうか。 なにしろ個性の強い方ばかりですから。 さて 今回の歎異抄は第六章 「親鸞は父母の孝養のために念仏したことことは一度もありません」 というところです。 非常に刺激的というか誤解を招きやすいところで どのように基調報告していいのか悩みました。 今回は父母の孝養のための念仏とは何か という話から始めました。 一般的に追善供養と云われるものは その本来的な意味はどういうことか という意味を考え、 それがどれほど仏教の基本的な考えから外れたものであるかを 説明いたしました。 このことは 一般的に行なわれている法事とか葬儀とかの行事に関わることで ややもすると それらの行事を否定する考えと受け止めかねられません 事実、 この親鸞さんの話をすると 檀家さんから必ずといってよいほど 批判や質問がでます。 「今まで、そういうつもりで追善供養のつもりでやってきたのに 住職はそれを否定されるのですか?! それでは今までやってきたことは一体なんだったのか! 問題は 死者とどう向き合うかということです そして 私自身がこれからどう生きていくかということです。 そのことを考えずして浄土真宗の法事、葬儀はありえません 死者とどう向き合っていくか それが 次回のテーマです。
by jyukushian
| 2009-09-28 17:24
| 行事のご報告
|
Comments(2)
Commented
by
クウ
at 2009-10-03 02:19
x
はじめまして、ネットうろうろしていましたらたどり付きました^^;
質問なんですが考養とはなんですか? 供養は木蓮が 餓鬼界に落ちた自分の母親を救おうと1万人の僧に食べ物を施したのが 始まりだと聞いたことがあるのですが
0
Commented
by
jyukushian at 2009-10-05 22:40
|
ファン申請 |
||