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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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今日、久しぶりの友達と
楽しいお酒をのんで いろんな話に華が咲きました 途中でカウンターで一人で呑んでいたお客さんも合流して いっそう話が盛り上がりましたl そこで それぞれの抱えている問題が噴出し どのように考えていけばいいのか 議論百出で、とても盛り上がりました。 そこでの私の意見 人生、簡単に結論や評価を下さないほうがいいのではないか 私の命の歴史は何億年もの歴史を背負ってきて 今の私がいるわけで、 数十年、生きてきた私は自分の人生の経験に対して いろいろ評価はするけれど つまり なんて悲惨な人生をあゆんできたのだ、私は とか 平々凡々と生きていた、あまりおもしろくない人生だとか とりあえず、無難に送ってこられた人生だったなとか いろんなふうの、千差万別の思いを時分に対して 思っているけれど 実は そんな思いはどうでもいいと言うか 大したことでなない 自分のことに ああだ、こうだというのは 多分、せいぜい50年や60年や70年の人生を経験しただけで 言っているだけで、 命というものの歴史から言えば やはり、少なくとも 千年ぐらいのスパンで自分の人生を見て上げなければ いけないような気がします もちろん 千年も私は生きてはいないけれど 要するに 私が、自分の生き方の評価を たかだか、数十年の短い単位で下すのは 間違いだと思うのです。 だけど 人間の心という奴はわがままで なんとか 自分の人生に対して これで良いんだとか 間違っていた名とか いろんな評価を下したくって 仕方ないんだ だけど 私は浄土真宗を学びながら思うのだけれど 百年やそこいらで、命の人生に対して 評価なんか下しちゃいけないんだと思うようになった それは、不遜なことのように思えてきた 私が短い人生の中で 七転八倒していきている人生に対して 評価を下せるとすれば それは 少なくともも 千年ぐらいのスパンで 考えてあげなければ 自分の人生にたいして失礼ではないかと思うのだ 私は住職という仕事がら 時々 「住職、私はそれなりに精一杯いきてきたよね、 間違ってなかったよね」 と 肯定の答えを求めてこられる方がいます。 私は なんとも言えない 千年ぐらい経てば 少しは自分の人生の意味がわかってくるんじゃないでしょうか そんなふうにしか 言えない 要するに 生きている間に 自分の人生を肯定することも否定することも 本当はできないのです 自分の人生がつまんないものであった 自分の人生が幸福ではなかった もっと波乱万丈の人生を送りたかった そんな第三者的な評価なんてどうでもいいのです。 今の自分の人生が不幸だとして そのことが気になって仕方がないのなら やはりその人は 新興宗教にでもいかないと 救われないのです。 自分の人生に 不幸だとか幸福だとか そんな評価は それこそ 仏さまにまかせておけばいいのではないでしょうか そんなふうに思いました では おやすみなさい
by jyukushian
| 2010-06-05 00:18
| WEB版 熟柿庵だより
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