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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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浄土真宗では
全てをあみだ様にお任せするのが信心ですという言い方をします だけど これって、本当にそんなことできるのか そんなことできないよなあ と思いながらずっと生きてきました。 それでいて、浄土真宗の僧侶だと名乗って生きてきました。 今、 寛弘先生の「歎異抄」を学びながら そんなことできない、と断言できるところまできました。 「だからこそ 信心はあみだ様から頂くものだ」 という教義的な言い方も信用できません 寛弘先生は 「自分を見つめた時に、どうしようもない自分が見えてくるんですよね」 とおっしゃいます。 その、どうしようもない自分を もっともっと見つめていく作業が 私には必要です。 言葉というツールを駆使して自分という存在を浮かび上がらせる その自分を信用できない私がいる。 あみだ様はまだ見えてこない ![]()
by jyukushian
| 2010-06-06 13:23
| WEB版 熟柿庵だより
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Comments(2)
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大変ご無沙汰しております。難中の難 とか 極難信 と親鸞聖人が云われているように、私には出来そうに無いという思いの私であります。
今年のご正忌報恩講の通夜布教で小林顕英師がいつも死ぬときは癌でと言われていた北海道の平間りょうこさんのお話をされていました。 癌は死ぬまで時間的余裕があるので、有縁の方々にお別れが言えて、残った時間を聖典を読み念仏三昧で終わりたいとの事でしたが。 実際そうなってみると念仏すら出てこなかったそうです。でも歎異抄の 仏かねてしろしめして・・をいただきなおされた と話されていました。 私も作業 死ぬまで続けます。
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今、書いております熟柿庵のお便りに
その最後に、 もし私が本当にあみだ様にお任せできるようになったら 私はきっと、衣を捨てて僧侶もやめて 晩年を妙好人か五合庵の良寛さんのように過ごしでしょうと書きました。 でも、たぶんこれも身勝手な想像です。
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