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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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フッサールの現象学の解説本を読みながら
いろんなことを考えています 例えば、知覚について 人間は人間の知覚をもってしか、世界を認識できない。 例えば、目の前にある石を今私は見ている だけどそれは 人間の目に映った石でしかない。 へびだったらその石をどんなふうに見ているのだろう。 人間が見ているようにへびも見ているのだろうか それとも、へびの網膜には全然違ったふうに見えているのだろうか それぞれの動物はどんなふうにその石を見ているのか、 これは最後まで確認できないことです。 動物の網膜に映った映像がわかったとしても その動物がそれをどんなふうに認識しているかは別の問題だからです。 以前 「死と狂気」(渡辺哲夫著)という本を読んだことがあります。 精神に異常のある人が、死をどのように考えているか 克明に記録した本です。 それは、健常者が考えている死とは相当に異なったものです。 死を違った見方で捉えている 私の死に対する考え、見方が正しいとは 決していえないと思いました。 精神に異常のある人のものの見方が間違っているとは 決していえないということです。 ![]()
by jyukushian
| 2010-06-15 20:21
| WEB版 熟柿庵だより
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Comments(2)
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末那識、阿頼耶識とはどのような関係になるのでしょうか。
意識についてわたしの一番の関心は末那識、阿頼耶識です。 そして今はこのことを信じていますが、わかってはいないのです。 ところで、以前、良寛さんのお言葉の話がありました。 「災難に逢う時節には逢うがよろしく候 死ぬる時節には死ぬるがよろしく候 これ、災難をのがるる妙法にて候」 親鸞聖人が引用されているというのは間違いと思いますが、 (時代的に矛盾する) 愚禿親鸞とおっしゃられ、大愚と号された良寛さんとは、同じ境地だったこよは間違いありませんね。 わたしは、ガンの宣告をされたことがあります。 その時、まず聞こえてきたのがこの良寛さんの御言葉で 「災難に逢う時節には逢うがよろしく候 死ぬる時節には死ぬるがよろしく候」 でした。その時、すっと気持ちが楽になりました。 このことが、浄土真宗では、南無阿弥陀仏であり、自然法爾であり、全てをおまかせするということではないでしょうか。
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親鸞聖人が引用されているというのは、私の言葉足らずで失礼しました。私の先生が親鸞さんを説明する時に引用された言葉です。親鸞さんが引用されたわけではありません。
自分という意識で動いているのは第六意識の意識ですが、その意識を生み出しているのが第七のマナ識だと理解しております。 阿頼耶識とマナ識の一番の違いは、 自我意識があるかないかというところだと理解しております。言葉としてはそれなりに理解できるのですが、 本当のところはわかりません。 自我意識が生まれてくるところは おそらくこの辺だろうということぐらいです。 難しいです
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