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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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ファドの歌手、ミーシャを聞きながら
唯識と現象学について考えています。 今日、寛弘先生の「歎異抄」の講義のテープ起しをしていたら 本願という話が出てきました; 仏教は生きているという事実について、言葉では語りきれないものを 語っているのです。という話が出ました そこでその講義の終わりに、私が質問しています 本願というのは、願いですから、方向性を持っているというわけですよね。 それは無目的ではないはずですよね。 先生の返事は 「本願というのは、人間の物差しでは理解できないのでしょうね。人間には生きていることの事実は無目的に見えるのでしょうね。」 なんとも難しい答えで、私は沈黙してしまっています。15年前の講義のテープでの話しです。 唯識 これは、人間が自分の勝手な物差しで全てのことを受け取ってしまう、そのプロセスと意識構造を詳細に分析している。そしてそれらはすべて虚妄であるから、最後に行き着くべきは 転識得智、それらの識を越えたところに新たな世界、本当の世界があると説く。 しかし、転識得智は人間には最終的には届き得ない世界として存在している。 しかし、真実ではある。 これは 人間の物差しの限界性を知ることによって、そのネガティブな方法によって 得智の世界を知ろうとする壮大な哲学なのかもしれない。 と、今のところ思っている。 そして現象学 現代の哲学者は、現象学を独我論としてあまり重要視しない傾向があるという。 確かに、現象学は、それまでの哲学の認識論とは違って 自分の見る世界は偏見に満ちていて、その奥に真実の世界があるという認識論を否定し、 自分が見ている世界がそれがそれ以外ありえようのない世界なのだ。自分が見ている世界のほかに真実の世界など存在してはいないのだと説いているように見える。 しかし 現象学は、その独我論を越えようとして思考しているように思える。 これもやはりネガティブな方法論によって より大きな世界をみとめようとしているように思う。 いまのところ、これぐらいしか理解できない。 もう少し深く理解するにはあと、数年かかりそうな気がする。 現象学と唯識と親鸞の宗教を結びつける糸は まだまだ見つかりそうにない
by jyukushian
| 2010-09-05 00:04
| WEB版 熟柿庵だより
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