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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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きのう、歎異抄の会が終わりました。
数ヶ月ぶりにMさんがお見えになって 本当は坐骨神経痛でおつらいのに いつもの明るい笑顔で参加していただきました。 神経痛はやく治してくださいね。 さて 歎異抄は第9章、 私にとってとても問題の多いところです。 ここのところが、本当に心を込めてお話できれば 親鸞さんの核心に少しは迫れると思うのですが、 やはり、何か曖昧なままで終わってしまったような気がします。 十数年前、ここのところを実感という言葉をキーワードにして 読んでいて、とても違和感を覚えたことがあります。 仏教を学べば、少しは救われるかもしれない、その実感が得られるかもしれない そういう思いを持ちながら読んでいて その思いが、見事に裏切られたという、そういう内容のところです。 十数年たって、 当時、私が思っていた実感というのは 自我としての感覚の、満足だったのかもしれないと思いました。 そんな実感ではない、もっと深い頷きがあるように思いました。 だけど まだそのことを、素敵な言葉で置き換えることができないままに 終わってしまいました。 どなたかが 本願は身で聞くものだという言葉で表現されたことを思い出しました。 次回も この第九章にこだわります。 ![]()
by jyukushian
| 2010-11-01 18:02
| 行事のご報告
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