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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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昨日、「歎異抄にまなぶ会」が終わりました。
第十二章の前半部分。 なんのいわれも知らず、ただお念仏していることと 学問をし、理論化してお念仏を学ぶことの違い 私は幼い頃、 田舎でお年寄りが、ただ「なまんだぶ」と称えているのを聞いて なんか不思議な感じがしました。 まるでおまじないでも称えているようでした。 大きくなってお念仏のことを勉強するようになって お念仏ってなんて難しいんだろうと思うようになりました。 そして こんな難しいお念仏を、このお年寄りはちゃんと理解しているのだろうかと 疑問に思いました。 この歎異抄の12章では ただ素直にお念仏している人のほうが やたらに学問して物知り顔でいるひとよりか どんなに素晴らしいことか ということが書いてありました。 「本願を信じ お念仏を申すこと」 それ以外にありませんと歎異抄は語っています。 難しいです。
by jyukushian
| 2011-06-26 17:07
| WEB版 熟柿庵だより
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Comments(2)
私の祖母もそうでした。雑巾がけをしているときも、針仕事をしているときも『南無阿弥陀仏・・・』口の中で転がしているようにつぶやいていました。また聞きたくなりました。
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盲信という言葉があります。これはたぶん知性を上位において、知性を持たずに信じている人を揶揄して言った言葉なのでしょうね。親鸞さんはその知性を疑っておられるようです。
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