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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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彦根にしばらくおりました。
彦根もクソ暑いです。 お盆の行事、お参り、お見舞い、小学校の同窓会、いろいろありました。 まずはお見舞いのこと 彦根滞在中、時間があるとMさんをお見舞いに行きます。 老人ホームにおられます。 母と同い年で、長年、私も親しくしていただいた方です。 いつかバレンタインチョコを頂いたこともあります。 Mさんはご主人を二年前に亡くされています。 ご主人が亡くなる前、Mさんが病院に入院されていて見舞いに行ったとき、 ご主人がMさんと方を並べて、椅子に座って 寄り添うように外を眺めておられました。 声をかけるのもはばかられるぐらいに 穏やかに二つの肩が寄り添って、 私は、しばらく二人の後姿を見守っておりました。 こころが暖かくなりました。 その姿が忘れられません。 そのご主人が二年前に先立たれました。 今回、お見舞いに行って、 ご主人との思い出話をいろいろ聞かせていただきました。 それに、お見舞いに行くと必ず私の手をぎゅっと握ってくださいます。 手を握りながら、お話くださいました。 私にとってはご主人はとても穏やかな方に思っていたのですが、 実は、ご主人はご主人の父親ととても中が悪く、しょっちゅうケンカしていたとのことでした。 あまりの喧嘩で、Mさんは裸足で実家まで逃げて帰ってきたことがあるとおっしゃってました。 「だけどね、私にはとてもやさしい人だったのよ。ほんとに善い主人でしたよ」 今は、ご主人の写真を枕元において、抱いて、いつも拝んで、それから寝るのだそうです。 「夜、苦しくなったりすることはないのですか?」 「苦しくなって、もうだめなのかなと思うことも何度もあるよ」 「そういう時は緊急用のボタンがあるでしょ、それを押せばだれかが来てくれるんでしょ?」 「そうだけど、周りの人に悪いから、あまり押さない。」 「そうですか、辛いですね。息苦しくなるというのは辛いですね。」 ずっと私の手を握り続けてくれて、なかなか別れづらかった。 ちょっと無理やりな感じで手を離し、 さよならをした。 帰り際、玄関まで来て、振り向くと、ずっと私を見守ってくれていました。 同窓会のこと 小学校の同窓会がありました。 私の小学校は、ひとクラスしかなかったので、六年間同じ顔ぶれで過ごしました。 50年ぶりに会った同窓生が何人もいました。 特に女性は、名前を言われても思い出せない。 男はすぐに思い出せる。なのに女性はなかなか思い出せません。 女性のほうが顔が体形が豹変するのでしょうか。 女性のほうが苦労してきているのでしょうか。 その女性の中に、私の初恋の人もいました。 私の心の中のイメージはさりげなく消えていきました。 あっという間の50年。 それから 運動場のことも忘れられません。 木造の校舎に小さな運動場。 その運動場のど真ん中に 大きなイチョウの木がありまして、 運動会になると そのイチョウの木のてっぺんから四方に万国旗がはられ そして、運動会の最後に 何故か 一人の生徒が「花さかじいさん」の格好をして 木のてっぺん近くまでよじ登って 色とりどりの紙ふぶきを撒くのでした。 今思えば 何とも不思議でユニークな光景ではありませんか。
by jyukushian
| 2011-08-17 19:54
| WEB版 熟柿庵だより
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