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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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先月から、
お勤めの後に 南無阿弥陀仏ととなえてから そのあとに 「私の人生すべてをあみだ様にお任せします」 と称えることにして、それを実践しています。 私の中で、お念仏を称えるときの気持ちが とっても変わりました。 南無阿弥陀仏ととなえる時は 浄土真宗の伝統に乗っかって称えるということを しているだけ、という平坦な想いで称えておりましたが、 「私の人生すべてをあみだ様におまかせします」と称え始めると すごく気持ちが変わってきました。 なんというか、 「私って全然,あみだ様に人生を任せていないよなあ」という気持ちが ありありとわかってきたのです。 任せるというのは、 その逆の意味は 自分で心配してなんとかしようと思うこと。 私は朝から晩まで、心配が絶えません。 ほんとにいろんなことを次から次へと心配ばかりしています。 天気のことから、その日の段取りのこと、食事のこと、 人と会うこと、しばらく会っていない人のこと、 時には自分の人生はこれでいいのかといったこと、 日々、満足しきれないで生きていること、 病気のこと、切りがないほど心配ばかりしています。 心配するということは 自分でなんとか答えをだそうとしていること、 自分で乗り切っていこうとしている証拠 まかせていない、ということの証拠 だから 「私の人生すべてをあみだ様におまかせします」と称えるのは 自分の想いと反対のことを口に出して称えていることになります。 任せていない自分がみえてきます これは 私にとってとてもショッキングな出来事です。 私の心の奥深いところで あみだ様が、現実を生きている私に向かって 呼びかけているのかもしれない 「現実を生きている限り、心配は尽きませんよ、 生きているということは、心配するということとイコールなのですよ だからね、心の中の もう一方で、任せるという想いをもたないと、ほんとうの救いはありませんよ」 これからは どんな時も、お葬式の時も 法事のときも、お念仏のあとには必ず 「私の人生すべてをあみだ様におまかせします」と 口に出して称えることにします。 ![]()
by jyukushian
| 2011-10-04 23:33
| WEB版 熟柿庵だより
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Comments(2)
もっともっと幼い時にご縁があれば「すべてを阿弥陀様におまかせ」で心地よく歳を重ねてきたのでしょうが、
なんとも、どうしようもない自分を見せ付けられて今おります。 「おまかせする・・・」大変なことですね。
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すべてをあみだ様におまかせするというのは、口に出して言うと、また格別の想いがわいてきて、なんとも恥ずかしいやら、裏切って生きている自分が見えてきたりして、とても心が動揺します。最後はなまんだぶつと言いたいのですが、途中の私なりのプロセスとして実践していきたいと思っています。ご返事おそくなり申し訳ありませんでした。
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