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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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何年も前、
アメリカで、親が育てられなくなった赤ん坊を 施設で預かって面倒をみるということがありました。 百人近い赤ん坊がその施設にいたそうですが、 二年以内に三分の一近くの赤ん坊が死んだそうです。 食べ物もちゃんと与え衛生環境も整え世話していたのに、 何故そんなに多くの赤ん坊が死んだのでしょうか。 死因は「世話をする人が赤ん坊に声をかけなかったからだ」 ということでした。 その結論にとても衝撃を受けました。 人が身近な人に声をかけること、 おはようとか、こんにちわとか、元気ですかとか天気の話とか、 日ごろの何気ない声かけをするということ。 私たちは挨拶をするということや、何気ない雑談をするということは、 道徳として必要だとか、 人間関係の潤滑油として必要だということを習ってきました。 でも人間同士が互いに声を掛け合うというのは、 そんな道徳とか、潤滑油といった生易しいものではなく、 人間が生きていく上で、 物を食べなければ生きていけないのと同じぐらい、 とても大切なことだということです。 人間は互いに声を掛け合うことによって生きていくことができる、 そういうことを証明しているということです。 赤ん坊は、確かに言葉を理解することはできません。 でも理解できなくても身近な人に声をかけてもらわなければ 命が育つことはできないのです。 仏教では 私の命を育ててくれているものを大事にしなさいと教えます。 だけど、 声をかけてくれる人が 私の命を育ててくれているなんて 思いもしませんでした。
by jyukushian
| 2012-02-12 18:59
| WEB版 熟柿庵だより
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