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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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5月25日
「歎異抄にまなぶ会」を開催いたしました。 今回は第十七章。「辺地往生」のところです。 前回に引き続きの後半です。 先生の講義では、『法華経』についての話から始まっていました。 仏教の功徳ということについて書かれているところの話ですl。 仏教を学ぶと、いろいろと良いことがありますよ。 良いこと、つまり功徳がありますよというのです。 だけど、本当はそんな功徳より、一番大切なことは受けているものの大きさを知ることです。 ということが書いてある。 先生はそれを、良寛さんの『法華賛』から引用して 良寛さんの受け取り方を紹介されています。 良寛さんによると、 「おめかけさんが、主人の気を引こうとして、女中さんに用事もないのにああだ、こうだと話しかける。 その話を主人が聞いて、気になってお妾さんのほうに気をむける。 功徳というのは、お妾さんの、そのああだこうだと言う話のことだというわけです。 要するに、功徳というのは結果であって、大したことではない。大事なのは『法華経』を通して 仏法に随順した生き方をしてほしいということです。 私たち人間はなかなか法に随順していきていくことができないから 方便としての功徳が必要なのかもしれない。という話でした。 私たちはふだん、仏教や宗教を求めるのは そこに何か良いことがあるからではないか、とか ご利益があるのではないかということで、仏教に近づくのですが、 それは、仏教の本筋ではないということです。 功徳は単なるきっかけにすぎないというお話でした。
by jyukushian
| 2012-05-28 08:00
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