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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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世の中には
尖閣問題とか、少子化問題とか、高齢化問題とか、孤独死問題とか、 国際問題とか、いじめ問題とか、人口問題とか、親子の問題とか さまざまな問題があります。 それこそ、言葉の最後に「問題」とつけるだけで、さまざまなことが 問題となります。 だけど、「問題」と言う言葉の前提には、そのあとに解決しなければならない という考えがあります。 解決しなければならないテーマだから「問題」と名付ける。 現実を前向きに生きるためには、 確かにさまざまなことが障害になり、問題となり、それらを解決しながら 前向きに進んでいくということが成り立つわけです。 だけど、ふっと疑問に思うこともあります。 問題とされるこうした現象は、解決されることがあるのだろうか、 解決されるとはどういうことなんだろうか、 解決されたとしても、必ず新たな問題は生み出されてきます。 どこまでいっても、問題のない世の中はなくなりそうにありません。 解決しなければならないという思いは、私の中から消えることはありませんが、 それとは別の まったく別の姿勢があるように思います。 たとえば仏教を学んでいると、 その中のに 「じねん(自然)」という考えに出くわします。 平たく言えば、「なるようにしかならないでしょ」 ということ。 無責任な言葉のように聞こえますが、無責任な言葉ではありません。 問題とおもっている現象について、そんなこといつだってあることでしょ。 そんなこと、いちいち問題としていたらきりないでしょ。 「問題」にすべき減少など、人間の歴史にとって切り離せないことでしょ。 ある意味、生きるということと同義でしょ。 まあ、つまりはそんなふうに「問題」ということに付き合っていく。 そういう姿勢。 人間は、常に問題を探したがる生き物ということ、 そして解決したがる生き物ということ。 そして、それとは別の人間のもう一つのこと。 「なんとか問題」を問題としない姿勢。 生きているといろいろあるさ、と言える柔軟な、しなやかな心。 ![]()
by jyukushian
| 2013-05-09 12:22
| WEB版 熟柿庵だより
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