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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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何年か前から気づいたことなのですが、
お経を称えるということは脳のトレーニングになります。 お経を称える方法に二つあります。 一つは 阿弥陀経や無量寿経など、長いお経を称えるとき、 私は、当然のごとく、経本を見ながら称えます。 つまり、漢字を一字一字追いかけながら称えるのです。 それからもう一つの称え方は やや短めのお経を称える時、 これはほぼ暗記しておりますから、 空で称えます。 この、暗記しているお経を唱えるというのは あきらかに、経典を見ながら称える時と状況がちがいます。 暗記しているお経を一行一行思い出しながら称えるのではありません・ まるで川を流れる水のごとく、次のお経の文句が湧き出してくる感じなのです。 いちいち思い出しながらではありません。そんなことしてたら間に合いませんから。 ですから、逆に もしそのお経を途中で突然忘れてしまったら その前の行の文句は思いだすことができず、 全部、最初に戻ってやり直さなければなりません。 そうしないと出てこない。 そんなことがあって、 気がついたのです。 経本を見ながらお経を唱えているときに 働いている脳の場所と 暗記したお経を唱えているときに 働いている脳の場所があきらかに違う。 それは実感として感じるのです。 たとえば左脳と右脳という具合に。 私は僧侶ですから しょっちゅう暗記したお経を称える機会があります。 そういえば、 小学校のときなど、詩を暗記させられた覚えがあります。 あれは、脳の立体的な運動になっていたのではないかともおもうのです。 まあ、この歳になって今さら脳を鍛えても仕方ないともおもうのですが、 ものを考える時に、無意識のうちに役にたっているのかもしれないなとも 思ったりしています。 ![]()
by jyukushian
| 2013-05-21 21:05
| WEB版 熟柿庵だより
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