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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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僕のこと、
いろんなことをブロブに書いてきましたが、 僧侶としての私自身のことをできるだけ素直に書いてみます。 僕は たとえば、僧侶なのだから、お釈迦様の時代の言葉を ちゃんと勉強すべきじゃないかという思いが心の隅にあって たとえば、サンスクリット語を勉強すべきじゃないのですかとか パーリ語もちゃんと勉強するべきじゃないですかとか、 また、 日本語訳されている経典や仏教書をちゃんと読んでから つまり仏教の歴史的全体像をちゃんと把握してから 言いたいことをいうのが正当ではないですか、 という思いが心の隅にありました。 そのうえで、仏教について語るべきじゃないですかとか、 そんなふうに 自分のなかでいろいろ自問したりすることがありました。 確かに僕は サンスクリット語も知らないし パーリ語も知らないし 中国語に翻訳された経典もちゃんと読んでいるわけではないし だから 仏教学をちゃんと学んだ人には到底及ばないし インド哲学を大学で学んだ人には知的に及ばないし そしてまた、 哲学的思考についても 西洋哲学を体系だてて学んだわけでもないし ドイツ語もフランス語も古代ギリシア語もラテン語も 学んだこともないし、 だから アカデミズムの中では 私の思いなどというものは なんの根拠もないと、一蹴されてしまうのはわかっているのだけれど そして 私の仏教への思いは 私の今までの人生経験と 私の先生から学んだ「人間」というものへの思いしかないのだけれど それでも 私は、親鸞聖人の 鋭い人間観察によって編み出された 仏教観というものに 帰依せざるおえません・ 人間の「認識」などという小賢しい思いを超えた 『人間はさまざまな命によって生かされている』 という厳粛なる真実に 私は最終的に頭を下げざるを得ない その思いを基にして 私の仏教観は成立しています。 ![]()
by jyukushian
| 2015-07-25 22:47
| WEB版 熟柿庵だより
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