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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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きたる30日土曜日 午後7時から熟柿庵にて勉強会をおこないます。
6時半からは座禅があります。これは自由参加です。 会費千円。 勉強会のあとに懇親会を予定しております。 さて 今回は「父母のために供養したことはありません。」という衝撃的な言葉と 「いっさいの有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」というところです。 ずいぶん常識とはずれた言葉です。 なぜ親鸞聖人はそんなことをおっしゃったのか そのところをさぐってまいります。 ところで NHKの100分で名著の番組、4回シリーズを見終わりました。 伊集院光さんの問いかけと食い下がりがとても印象的で いろいろ考えさせられました。 解説者の釈徹宗さんが歎異抄の解説をして 伊集院さんは あみだぶつとか、念仏とか いったいどういうきっかけでそのことに対する思いがはじまるんでしょうか とか、 彼の場合について言えば、御笑いを通して阿弥陀仏に対してかんがえるようになることが 本当にありえるのだろうか とか いろいろ、自分なりのひっかかりを作ろうと問いかけていたのが 印象的でした。 つまり、念仏とか阿弥陀仏とかいうものは 日常のなかで、よほどの縁がないかぎり その言葉にすら接することがないということです。 これは 浄土真宗の教えに普段から接している人に対しては やはり衝撃的な発言です。 伊集院光さんが、浄土真宗の人とともに 人生の同じ悩みについて 共通する言葉でともに考えていこうというときに とても大切な発言だと思います。 あみだ様とか、念仏とか、信心という言葉 これを もっと一般のひとと共有できる言葉に 置き換えなければ 親鸞さんが死んでしまう。 そんな気がしました。 あみだ様とか、念仏とか、信心とか そういう言葉ではなく、 もっと現代の言葉で置き換えるべきではないのか そうしないと、いろんな人のいろんな悩みを ともに話し合える共通の場所というものを 失くしてしまうのではないか そなんふうにおもいました。。 伊集院さんはいろんなヒントを私に与えてくれました。 ありがとうございます。 勉強会、宗派を問わず、みなさまのご参加をお待ちしております。 ![]()
by jyukushian
| 2016-04-26 23:43
| WEB版 熟柿庵だより
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