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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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余命少ない患者を相手に
宗教者が何をできるか、という問題提起の番組でした。 とても考えさせられました。 まず、自分の命の最後をちゃんと見つめることのできる環境 にいる人が対象です。 突然死や、事故死の方は残念ながら対象になりません。 じっと自分の死と向かい合うことになってしまった患者さんのみが 対象となります。 具体的には、病院で、難病の末期を告げられて、 自分の死と向かい合う時間を与えられた人が対象となります。 死にたくない、あるいは自分の死をどのように受け入れていいのかわからない 患者さんが対象となります。 そこで 宗教者はいったい何ができるのでしょうか。 私の思いは 患者さんにとって、いちばん求めているのは 宗教者ではなくて、自分の話を聞いてくれる存在です。 医者や看護師は、立場上、その患者さんの話をニュートラルに 聞くことはなかなか難しいと思います。 だから 患者さんにとっていちばん必要なのは 患者さんのことをこの世でいちばんよく知っている人で、 なおかつ、ちゃんと患者さんの言葉に耳を傾けることのできる人です。 それは、宗教者に限らないのです。 患者さんの友人でもいいのです。 だけど、患者さんにとってみれば、いちばん命の話を聞いてくれるのは きっと宗教者だと思っているのかもしれません;。 もしそうなら、宗教者は病院にいってその患者さんの話を聞くという 大切な仕事をすべきだと思います。 だけど本当は宗教者である必要はない。 患者さんの話を心から聞くというのは、 ある意味で、なぐさめなのです。 本来の仏教者の仕事とはちょっと違います。 だけど、 なぐさめ、というのはとても大切なことです。 その場限りの言葉であっても、 死を直前にした患者さんにとってはとても必要なことだと思います。 そして、そのようにして、死を受け止めることができれば それはとても大切な仕事だとおもいます。 だけど 宗教者は、死んでいく人間の切なさ、やりきれなさにずっと 向かい合って仕事をしてきているにんげんです。 それは、実は答えがないのだともいえます。 人間の意識というものを満足させるために 宗教はあるわけではない、といううがった見方を 私は心のどこかに持っています。 ですから、 具体的に、死を間近にした患者さんに対しては具体的な 言葉は持っていないのです。 つまり、具体的な患者さんを前にしては、宗教者は役に立たない。 そのように思っています。 だけど、私は、 死を前にした患者さんとずっと話を聞き続けていきたいと思っています。 矛盾した内容の文章になっていますが、 仕方ありません・ ただ云えることは、 末期の患者さんと宗教者を安易に結びつけてはいけないということです。 宗教者に限定してはいけないということです。 NHKがテーマとして間違っているのはそのへんだろうと思います。 宗教者に限定せず、もっと広げれば もっと多様で広がったテーマになっただろうなとおもうのです。 ![]()
by jyukushian
| 2016-09-01 01:01
| WEB版 熟柿庵だより
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