カテゴリ
以前の記事
2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 more... ライフログ
著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
その他のジャンル
|
ギリシアのソクラテス以前の自然哲学は
ニーチェやハイデッガーが指摘したようにとても魅力的なのだけど 今は、まだ言及できない、 プラトンから始まる神学的な流れは最終的に アウグスティヌスの神学の完成に至って 人間は神によって創造されたものだということで一つの終結を もたらした。 現代の自然科学の基礎を築いたデカルトは 神の存在によって人間の認識を正当化することに成功した。 彼は人間の脳に、松果体という神の宿っている場所があって、 それを「理性」という言葉で表現し、神が人間に内在しているのだと語った。 しかし カントに始まる近代哲学は、 神の存在を徐々に否定し始め ソシュールに始まる現象学は、人間の知覚がすべてであるとして 神の存在を否定した。というより、神の存在などは哲学の問題から排除したのである。 さて仏教、 もちろん仏教は神のような存在は認めないけれど 自然という言葉を置く。 自然(しぜん)という言葉は、当初あるがままの存在として使われたが それが自然(じねん)という言い方に変わっていくことによって 仏教の基本概念となった。 しぜん、は人間の感情移入しないところでの現象の在り方。 じねんは、しぜんの世界に対して人間の認識を投影した言葉。 西欧哲学の神の存在に比する存在。 じねんとは たとえば、主客二元論を超えた世界。 たとえば、我の認識を超えた世界。 ちょっと頭が混乱して 本日はここまでにします。 ![]()
by jyukushian
| 2017-07-14 23:47
| WEB版 熟柿庵だより
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||