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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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思想と仏教と哲学の根本的な違いについて考えてみました。
まず、思想は自分を含めた社会の在り方を分析しています。 たとえば社会主義とか資本主義とか絶対王政とか民主主義とかいうものです。 もちろん私自身の生き方にも影響を与えますが、しょせんは社会分析の説明と、あるべき体制の問題です。 そして、これは時代によってその正しいあり方は変わっていきます。 そして思想は直接には自分の人生そのものには問いかけてきません。 つぎに哲学、 これは人間自身を問題とします。 人間とは本来どういう存在であるとか、 人間は世界をどのように見ているのか、といったことです。 そのために、神のぞんざいを肯定したり、無神論をとなえたり、 人間存在そのものを問題とします。 今読んでいる生物学者のリチャード・ドーキンスは 生き物はおしなべて DNAという遺伝子を増殖させるための道具にしかすぎない と語っています。これも人間についての哲学的考察です。 仏教も哲学的な面を多分にもっていますから、 哲学的な面で仏教を語るとすれば、 人間はじねん、すなわち阿弥陀如来によって育てられていると 説明します。これも一種の哲学です。 そして哲学も具体的な私の人生に直接かかわってくるものではありません。 人間について語ってはくれていますが、私の個人的な人生そのものとは距離を置いています。 そして仏教、 これは人間とは何かというよりも、 私の人生とはなんなのか、なんで私はこのような人生になってしまったのか といった私個人の人生や生き方を問題とします。 私の個人的な、それも一回きりの、取り返しのつかない人生。 ですから 仏教の教えは哲学つまり教義としては統一的に存在していますが、 私自身の答えは書かれていません。 仏教は 思想や哲学とちがって 私自身が私自身の取り返しのつかない人生に どのように解釈し、答えを出していくのかということです。 ですから、 仏教には一般的な答えはなく、 それぞれに自分自身が答えを見つけ出して、それに納得していくものです。 ある意味、言葉になりえない、言語表現できないことがらです。 答えは、 一人一人の生きざまのなかで紡ぎだされていくものです。 以上、思想と哲学と仏教の違いについて 私なりに考えてみました。
by jyukushian
| 2019-03-25 00:17
| WEB版 熟柿庵だより
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