カテゴリ
以前の記事
2025年 01月 2024年 12月 2024年 08月 2024年 06月 2024年 04月 2024年 03月 2024年 02月 2023年 12月 2023年 09月 2023年 07月 more... ライフログ
著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
その他のジャンル
|
死後の世界には大きく分けて3つ想定されています。
一つは 「人は死んだらゴミになる」ということです。 これはとても物理的な考えで、 人間の思いや心をできるだけ考えないでだされた一つの世界です。 心情的には、受け入れがたい 二つ目は この現実とは別にあの世があるという考えです。 キリスト教では天国といいます。そして地獄。 このどちらへ行くかは、神の審判をうけなければならないといいます。 神の前に立つ自分、 養老孟子さんは、その自分はいったいいつの時の自分なのかと 言っていました。できれば生まれたての時の自分、イノセントな時の自分であるといいなと言ってました。 大乗仏教ではあの世を浄土と言います。 天国と浄土、 この二つには、大きな違いが一つあるように思います。 一つは、生きていた時の人格のままにあの世にいくのか、 それとも、現実世界でつくられた人格を脱ぎ去って もとのすっぴんのままの命で浄土に行くのか、 ということです。 あるキリスト教徒は、死んだら両親や親しかった人に会えるから ある意味、楽しみでもあると言います。 人格を無くした命っでなんだろうと思いますが、 これは、ちょっと人間の思いを超えています。 私たちが故人を供養するときは、故人の人格を思い浮かべて供養するのですから。 そしてもう一つ、浄土教には別の教えがあります。 往相と還相という考え方です。 これは 人が死ぬこと、つまり往生すること、往相と その浄土から戻ってくること、還相の働きがあるといいます。 つまりあの世とこの世を行ったり来たりするといいますか、 命は浄土と現実世界を互いに行き来している、ということです。 親鸞聖人は 還相の働き、あの世へ行きつつ、また戻っているのだということを 強調されました。 単純にあの世とこの世を分けて考えてはだめだということでしょうか。 こうなると人間の思考能力を超えています。
by jyukushian
| 2025-01-31 12:07
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||