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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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今の私の頭の中は、インドの仏教と、西洋の哲学語と、そして日本古来のやまと言葉で
ごっちゃになっています。整理し切れません。 仏教を生んだインド人は、となりのネパール人とはまるで民族性が異なります。 ルンビニーから陸路でインドに入るとき、ネパールの少年が私に、 「インド人はクレージーだから気をつけろ」と忠告してくれた言葉が 未だに忘れられません。 ネパール人は、まるで日本人のふるさとを思わせるような顔立ちで、 穏やかで、とても安らげる国でした。 ところが、インド人は、まるで違います。 汽車に乗った時、目の前にインド人の老人が座りました。 彼は、長い杖を持ちながら、私を睨みつけています。 別に他意はないんだろうけれど、日本人の私としては、その鋭い視線に、 怖くなって、目をそらそうとします。まるでガンつけされているようで、 なんともいたたまれない雰囲気です。 日本人にあるような、はじらいとか、遠慮ということがまるで感じられません。 でもこのインド人の祖先である、お釈迦さまが仏教を生んだのです。 いや、間違いです、お釈迦様はルンビニーの釈迦族の出身で、いまのネパール人だろうと思われます。 だけど、仏教は、インドで成立し、インド人のあいだで発展しました。 私が今イメージしている仏教があのインド人のあいだで受け入れられたことに とても奇妙な思いをいだきます。 つづく。
by jyukushian
| 2025-07-22 14:24
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