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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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別にたいした事を考えているわけではありません。
私の場合、お経が終わってからお説教として 話す内容をまとめています。 最初の切り出しは何から話し始めればいいのか、 どういう話から入っていけば皆が耳を傾けてくれるのか、 あの話を入れると長くなる、 この話は興味を持ってくれるかもしれない、 話の落ちはどこへ持っていこうか…などと考えているわけです。 もちろん、それ以外のことを考えていたりもします。 人間の心とは本当に恐ろしいものです。 神妙な法事やお葬式の最中に 突然とんでもないことが心に浮かんだりします。 40分の短い時間に“よくもまぁ”と思うほどに いろんな事を考えてしまいます。 ドラマチックな時間といえば言えるかもしれない。 ただ、ひとつだけ絶対に考えてはいけないことがあります。 唱えているお経の中身について考えること。 これは、決してお経の最中にやってはいけません。 実は経験があるのです。 唱えながらそのお経の中身について、 「ああ、これは日本語に訳すとこういうことなんだな」とか 「ここの文言はこういう意味なんだな」などと考えていると、 必ずと言っていいほど、読み間違えてしまうのです。 お経を読み間違えたり、詰まってしまったり、沈黙ができたりというのは 僧侶として、決してやってはいけない事なのです。 みっともない醜態をさらす事になるのです。 唱えている最中はお経の中身について考えない。 これ、儀式にとってはたいせつな教訓であります。
by jyukushian
| 2007-10-22 10:01
| WEB版 熟柿庵だより
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Comments(2)
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〉唱えているお経の中身について考えること。
これは、決してお経の最中にやってはいけません 確かにプロとしてはそうでしょうね。私は和讃で自分の好きなものを 唱えたあと、う~ん と止まってしまうときがあります。蓮如上人にもそんなことが有ったと、御一代記聞書にかいて有るのを見つけて、思わず 「そ-だよね れんにょさん」と心の中でいいました。
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プロ?
う~ん、困ったなぁ、 唯だ単に私の場合は儀式を支障なくお勤めするということに重きをおいてきただけの話で、ほんとうは破旬さんのように、それぞれの和賛やお経の言葉に感動することのほうが大切なのかもしれません。 お経を唱えているときの私の心の中はあまり人には見られたくありませんね。
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