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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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勘違いされるかもしれない。
わたしの述べていることは、あまりにも保守的であると。 今あるあり様を変えようとしないで、受け入れることばかり考えていると。 ハン氏の述べている、社会と関わり積極的に平和を求めていこうと言う考えと まったく逆ではないかと。 でも、それは的外れの指摘だと思う。 だけど今はそのことを言葉にして説明するつもりはない。 ただハン氏の言う、 「自らの心の中に平和をつくり得ずして、どうして人と平和と分かち合えるでしょう」 という言葉の重さを感じているだけだ。 わたしが本当に心から私自身を愛せるようになった時、 きっと私が何故生まれてきたのかに対する答えが、私だけが納得できる 言葉ないならない答えが出るのだろう。 他のだれであってもいけない、 あの二人こそが私の両親でなければならなかったのだ。 私の命があるのは今という時代、時でなければならなかったのだ。 私は今まで出遭ってきた人たちに出遭わなければならなかったのだ。 私の命は偶然の所産などでは決してない。 わたしは生まれるべくして、生まれてきたのである。 これ以上に私の命の意味を説明できるものが他にあるだろうか。 「仏説無量寿経」という経典のなかに、仏様がわたしたちに求めている願いとして、 四十八願というのがある。 それは私が本当の私に出遭ってほしいという願いそのものである。 この本に出遭えて心から良かったと思っている。 ハン氏は来年(1995年)の四月に日本に来られるとのことである。 機会があれば是非お会いして、私の心にすばらしいプレゼントをして下さったことに お礼を申し上げたい。 最後に、この本を私に紹介して下さったのは武田寛弘氏である。 氏は東京の小岩にある浄土真宗のお寺、真徳寺の前住職であり 永年にわたって私の先生でもある。 今も月に何度かの勉強会に参加し、 先生の話を聞き続けている。 以上が「理解のこころ」の訳者後書きとして書いた文章です。 もう13年以上もまえのことです。 若気のいたりで気負った表現もみられて少し恥ずかしい気にもなります。 だけど本書に対する基本的な思いは今も変わってはいません。 武田寛弘氏は一昨年、亡くなられました。 さて、次回から本文に入っていこうと思います。
by jyukushian
| 2007-12-14 00:33
| ティック・ナット・ハン氏
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