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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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いくら喋っても気持ちが表現できるわけではない
解き放たれた言葉が 心を離れていくだけ どんなに正直に話しても 言葉は心を裏切って 唇から放り出されていく 口から放たれた言葉は 相手との間に生々しい空間を共有しているくせに それでもなお 口から発せられた言葉は 心を裏切っていく 沈黙しているほうが余程いいのかもしれない だけど 沈黙も 裏切る言葉のひとつ ましてや 書かれた言語はなおさら。 仏教書を読んでいると 信心とか 如来とかいった キーワードが解説されている その言葉を理解するには その言葉を通して 言葉を超えた本当の心の世界に至らなければならない 私の心に どろどろした言葉にならない想いがあって その思いを 無理やりに言葉にまとめ上げて 相手に伝える 相手は発せられたその言葉を 自分のなかで解釈して その言葉を また自分のどろどろとした心の中に持ち帰る そのまどろっこしい作業 だから 心と心が直接通じ合うことはほとんどあり得ない 悲しいかな 言葉という不完全なアイテムを介してコミュニケーションするしか 方法はない。 オブラートで包まれた心を オブラートで包まれた心が受け取る以外に 方法はない歯がゆさ だから 人間は一人ぼっちであるということを もう一度しっかり認識すべきなのかもしれない そして 一人ぼっちの自分が 自分と相手と世界を 見つめなおしてみたい 親鸞の仏教を理解しようとする時、 言葉に包まれた隠れた心を 言葉を介しないで しっかり みつめること そのことが大事なような気がする わたしの心は ほんとうは何を求めているのか 一日一回クリックを よろしくお願いします(武田)
by jyukushian
| 2008-03-10 00:21
| WEB版 熟柿庵だより
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