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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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一ヶ月前、ある年配の檀家さんから
「御住職、阿弥陀如来って何なのですか? お釈迦様ならわかります。歴史上の実在の人なのですよね。 だけど 阿弥陀如来がわからない、それなのに浄土教では 御本尊である。一番大切な存在ですよね・ それなのにこの年になってもわからない。 恥をかくようだけど教えてくださいな」 という質問がありました。 それから私はずっと阿弥陀如来について考え続けています。 まず、ちゃんと言葉で説明すること。 例えば、植物について考えて見ます。 植物は太陽や空気やあるいは大地の栄養や雨や 人の世話といったいろんなものに支えられて命を育んでいます。 そのどれひとつを取り除いても、その命が成り立たない、そういうもの全てを 阿弥陀如来の働き、あるいは阿弥陀如来そのものと名づけているだけの話です。 太陽はそれだけを取り出してみれば太陽でしかないのですが、 植物の命という視点からみれば、その命にとっては太陽は阿弥陀如来となるのです。 植物を例にとると阿弥陀如来とは何かを考える時とてもわかりやすいです。 その植物を育てている周りのもの全てを指していると考えればいいわけです。 だけど 問題は人間の、私の命にとって阿弥陀如来とは何かと考えた時です。 ここからが話がややこしくなってくるのです。 なぜなら 人間には植物にはないであろう心とか意識とか考えというものが存在するからです。 そしてその心は 自分の命を育てているものに気がつかない、自分の命は自分の力でいきていると思い込んでいるのです。その大きな間違い。 人間の心は自分の命を育ててくれているものの存在に気がつかないのです。 とても狭い視野しかもたない人間の心という奴。 親鸞聖人は そのことを「罪悪深重の凡夫」という言い方で表現されました。 だけど心というのは不思議なもので その心の愚かさを知ることが出来るのもまさにその心自身なのです。 心は煩悩だらけだけどその心がまた菩提心を起こす種ともなるのです。 ![]() 上記のロゴマークへの クリックをよろしく お願いします
by jyukushian
| 2008-06-18 00:07
| WEB版 熟柿庵だより
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Comments(2)
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
ありがとうございます
檀家さんは仏教行事はご存知でも 仏教の教えそのものについてはあまりご存知ないか もしくは誤解されている方が多いです。 「仏教聖典」参考にさせていただきます。
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