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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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さる14日、
無事、熟柿庵のお彼岸法要を終えることができました。 10人ほどお参りしていただきました。 そのうち男性は3人。 女性パワー全開の雰囲気でした。 実は私はこうした法要の時には 話す内容を何日か前から考えているのです。 まず、私が話をして それから皆さんに座談会ふうに話していただくという段取りで 考えているのです。 今までも 参加していただいた方には全員に、 ご自信の今考えていることや思いを 話してきていただいていました。 今回もそんな雰囲気で進行していきました。 参加してくださる皆さんにそれぞれ思いを語っていただくことは 私の目指している法要のスタイルですので それはとても望ましいことではあります。 だけど 今回、皆さんの考えておられることと 私が話そうとした仏教の基本的な考えに 大きなズレを感じました。 つまり みなさんは、身内の死別という悲しみを 具体的な生活のなかで 何とか乗り越えて日々生きておられるわけで その思いと 私の考えている浄土真宗の基本的な考えが 大きくすれ違っていることに あらためて気づいたのです。 例えば浄土真宗は 罪悪深重、煩悩熾盛のエゴイズムの自分を知ることを 眼目としているという話をしたのですが 親鸞はそのことを通して命の素晴らしさに気づいていったのですが 現実の生活に追われて生きている皆さんには その考えは響いてこないということを私は実感したのです。 私は仏教というのは 明るく生きていくための方法論であると 常々言ってきてはいるのですが、 罪悪深重、煩悩熾盛のエゴイズムの私に気づくことと 明るく生きていくこととが どうも繋がってこないことを お彼岸の法要のなかで感じたのです。 結局 その日の法要では 女性の、日々を生き抜いていく圧倒的なパワーの哲学の前に 私の話した仏教観はやや押されぎみになってしまいました。 法要が終わってからそのことがとてもひっかかっていました。 私が今考えている仏教観は日常生活の中では 心に響くことばとして伝わっていかないのだろうか 仏教の教えは日常生活とはかけ離れたものなのだろうか いろいろ悩みました。 そして今 私は結論を出しました。 私がいま考えている仏教観、あるいは浄土真宗の教えは 私のなかでは まだ全然こなれていないのだ。 自分の言葉として語っていないのだ。 浄土真宗の教えを 日常のレベルにまで引き摺り下ろして 語れてはいないのだ。 今回参加してくださった方たちの 日常生活から搾り出してきた真実の思いのところまで 届いていないのだ だから なんとなく コミュニケーションがうまくかみ合っていないようなことに なってしまったのだ。 僕の語る浄土真宗の言葉が やはりどこか浮ついていることを 痛感した ぼくは今、猛反省をし、 現代に生きる言葉をますます捜し求めなければならない ことを つくづくと思っている。 そういう意味で 私にとっては とても意義深い 彼岸会法要でした。 参加して発言してくださったみなさん ありがとうございます。 ![]() 上記のロゴマークへの クリックをよろしく お願いします
by jyukushian
| 2008-09-17 00:56
| 行事のご報告
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