カテゴリ
以前の記事
2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 more... ライフログ
著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
その他のジャンル
|
私の体を二つの面から考えることが出来る。
例えばその一方を肉体と云い、 もう一方を身体と名づけることにする。 肉体とはなにか 私の考え、意識によって、云わば、その奴隷となって こき使われる体のことである。 物を見たいと思って眼をこき使い 動きたいと思って足をこき使う。 ものを食べたいと思って口をこき使い そして消化するために胃や腸をこき使う。 心臓だって自分が生きたいという欲望のために 一刻も休まず、こき使う。 血液だって休むことも許さず、せっせと流し続けてこき使う。 肉体とは 私の意識や欲望によって働かされる部品である。 私の意識によって認識された私の体のことである。 私に奉仕すべき部品。 だけどこの部品はなま物である。 年とともに老化して役に立たなくなってくる。 次第に足がおぼつかなくなってくるし、 耳だって次第に遠くなって聞こえなくなってくる。 心臓だって突然不整脈になったり あるいは止ったりもする。 そのことを 私という意識は嘆くのだ ああ、歳は取りたくないもんだと。 私の思いどおりに動いてくれない肉体なんて、・・・ そして 一方の身体。 私の足、手、耳、口、目、内臓、 すべては私の命を支えるために 片時も休むことなく働き続けてくれている存在。 そんなふうに考える。 私の我が儘な意識、思いのために 手が動き、足が動いてくれていた。 なにも云わず、黙々と。 だから 老化して段々体が衰えてくると 体のことを「肉体」としてではなく「身体」と考えている私は思うのだ。 長いあいだ、私のために働いてきてくれて ご苦労様でしたねと。 体の老化を優しく受けとめてあげることができる。 私の身体の一つ一つに 「私の我が儘に付き合ってくれてありがとう」ということができる。 自分の体を「肉体」と呼ばずに 「身体」と呼べる人間 そういうものに私はなりたい・・・ ![]() 上記のロゴマークへの クリックをよろしく お願いします
by jyukushian
| 2008-09-29 21:36
| WEB版 熟柿庵だより
|
Comments(2)
![]()
おっしゃる通りですね。
世の中には障害を持っている方がいますが、 肉体障害者とは言いませんしね。
0
ブログを書いているとき、身体障害者のことを
少しも考えていませんでした。 わかばさんに云われてはっとしました。 多面的に考えずに文章を書いてしまうと 知らずのうちに人を傷つけてしまします。 自分の思考の狭さと怖さをおもいます。
|
ファン申請 |
||