カテゴリ
以前の記事
2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2021年 05月 2021年 02月 2020年 04月 2020年 03月 2019年 06月 more... ライフログ
著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
その他のジャンル
|
先日、田舎の寺の総代さんから、
寺のおたよりを作るから原稿を送ってくれとの依頼がありました。 今回はその原稿を転載いたします。 報恩講を終えて 前略 さて、親鸞聖人のみ教えの有り難きご恩に報いる講としての報恩講、 果たして聖人のみ教えはどのようなものであったのでしょうか。 それは仏教史上、革命的な教えであったと評されています。 革命的というのは、 それまでの従来の仏教の教えがあって、 それを根本的に覆すような教えであるということです。 従来の仏教は 「この世を生きていくというのは辛いことや悩みが一杯あって、 そうした苦しみから解放されて 幸せな人生を送るには 修行して心を清らかにして 何ものにもとらわれないで生きていく」というものでした。 親鸞さんは、 「修行して本当に心が変わっていくのか」という疑問をもたれて、 生涯をとおして自分の心を直視されてきた方でした。 そうして出された結論が 「人間の心は、こういう修行をすればこうなる、などと云った生易しいものではない、 どれだけ修行しても 自分勝手で煩悩だらけで救いようのが人間の心である」 というものでした。 そして一切の修行を否定されたのでした。 云わば 、自分の心、人間というものに絶望されたのです。 そして阿弥陀仏という私の命を支えるものに 全面的に帰依するということしかできないと自覚されたのです。 一面から見ますと、 こんな否定的な教えがどうして全国に広まったのか不思議な気もします。 浄土真宗の教えは 修行が無いということで易行の教えとも云われます。 お念仏さえ唱えていればいいと。 だけど 「行き易くして、行く人なし」とも云われます。 それ程に親鸞さんの教えは易行でありながら難しいのです。 自分の心を直視するほど難しい作業はありません。 だけど 多くの先達が親鸞聖人の教えに耳を傾け生涯を生きられました。 私にとっても一生の仕事です。 ![]() 上記のロゴマークへの クリックをよろしく お願いします
by jyukushian
| 2008-12-05 22:42
| WEB版 熟柿庵だより
|
Comments(3)
|
ファン申請 |
||