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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク カウンセリング研究会【くりのみ】 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 最新のコメント
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井戸の壁、それはとても厚い。
だけど命が肉体という具体的な形をとって現れてくるしかない ということを思えば、肉体の持っている限界という意味において 仕方のないことだとも思う。 魂のように、具体的てな肉体というものをもっていなければ それは、壁というものを持つことなく 自由自在に存在しえたのかもしれないけれど 肉体という具体的なものをもったかぎりにおいて 限界があるということは仕方ないこと。 その厚い壁の中で人間は意識というものをもっているから 厚い壁を基にしていろんなことを考えてしまう。 生きているってどういうことなんだろうとか 死ぬってどういうことなんだろうとか、 いろいろ、悩み考えてしまう。 その考えているという意識について 少し、考察を敷衍していくと 人間の意識、 その意識のいちばんの特徴として 自己中心性というものがあります。 自分を中心にしかものを考えられない。 常に自分を中心にしてものを考えるということ これは人間として、いたしかたのないこと。 だって、 人間の持っている知覚、 たとえば、目とか華とか耳とか、 それらはすべて外に向かって設置されているわけで 外に向かっているということは その核となる中心がなければならないわけで いたしかたなく自己というものが その核となる。 だから人間は常に自己中心的である。 何年か前、養老猛という解剖学者が 空き地という言葉について 次のように説明していた。 「空き地という言葉は 人間の勝手な自己中心的な考えから出てきたものです。 空き地をよく見れば そこには、雑草という命も育っているし 地面には、いろんな虫がいっぱい生きている。 かれらを中心に見れば 空き地どころではなく、まさに生きるための大切な場所なのです。 それを、人間は経済的な物差しで、勝手に空き地と言っているに過ぎない。 自分勝手もはなはだしい。」 ということをいっていました。 自己中心性ということの意味をとてもうまく 説明してくれていると思いました。 人間というのは 自己中心性というわがままな思いから 決して逃れることはできないのです。 ![]() ▲
by jyukushian
| 2015-02-19 22:26
| WEB版 熟柿庵だより
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今月は28日、土曜日です。
6時半から座禅、7時からお経と勉強会です。 そのあとは懇談会 会費1000円。 今回は テキストに沿って 「難行道と易行道」ということを テーマにしようと思っております。 皆様のご参加をお待ちしております。 ▲
by jyukushian
| 2015-02-18 19:07
| 行事のご報告
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先日、スキーの大ジャンプの競技をテレビで見ました。
テレビのコマーシャルにも出ちゃってるサラちゃんという十代の若い選手や 40代のレジェンドといわれる葛西選手も見ました。 それはともかく、 あの大ジャンプという競技、 とても勇気のいる、そしてまた危険な競技だなと つくづく思いました。 テレビカメラがスタート台からスロープを見下ろすと 本当は40度に満たない傾斜角度らしいけど 70度とか80度くらいありそうに見える。 そこから 大空向かって飛びあがっていく。 あんなに空高く飛び上がる競技なんてあるかしら 二枚のスキー板で うまく風に乗って100メートル以上遠くまで 飛んで行くのだけれど、 あれって、失敗することはないのかしらと思う。 いちばん高いところまで飛んで、 もし、スキー板の向きが変わったり 重心がコントロールできなくなって あの態勢が乱れたら それこそ 高層ビルの最上階から放り出されて 飛び落ちるのと同じぐらいのことになるのではないでしょうか。 それこそ 打ちどころが悪かったら死んでしまいます。 (いくら雪の上だとは言え) 私はそういう失敗をしたアスリートは 一度も見たことは幸いにして無いのですが、 過去に そうした失敗をして命にかかわる大けがした人とか いなかったのだろうかと思ってしまいます。 スキージャンプのアスリートたちは きっとその恐怖はいつもあるのではないかと 思ったしだいです。 ![]() ▲
by jyukushian
| 2015-02-08 20:01
| WEB版 熟柿庵だより
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最近、もう十分生きたから、もういいのじゃないの
というちょっと怪しい倦怠感があって、 生きるエネルギーが少し落ちてきているなと感じております。 別に悪いことだとも思わないけれど、 さりとて良いことだとも思えない。 ついつい、若かった時のことと比較してしまうから ずいぶん落ちたなと思うけれど、 それは比較する時期がよくないのだ。 比較は、分別と一緒で 人間に付きまとうネガティブな思い。 だけどついつい比較してしまう。 私の悪いくせ。 さて、 小さな井戸の中に生きている私たち。 その井戸を作っている壁とはどんなものか 私の考え、人生を規定している壁とはいったいどんなものか これから一つ一つ、あげつらっていくことにします。 私がこの世に生まれ、今まで育ってきた、その私を縛り、 規定しているものとはいったいどんなものか。 1、 まず私は人間に生まれてしまったという規定 私の親がたとえば庭に咲く草花だったら 私は、きっとこんなブログをかくということもなく 風雨にさらされながらも、何物にも心なやむことなく、 草花としての人生を全うしていたことでしょう しかし、 私の親は人間だった。 その縁で、私は人間という境涯に生まれついてしまった。 これが、最初の規定、もしくは呪縛、もしくはご縁です。 良くも悪くも。 2、 その生まれた場所がこともあろうに、田舎の寺だったということ。 これも私を規定する決定的な要素。 なぜ、私は農村に生まれながら、農家に生まれなかったのか よりによって、とある小さな村のその中に一軒しかない寺などというところに 生まれてしまったのか 3、 私が男に生まれてしまったということ こんなふうにあげつらっていくと 私の井戸の壁はますます分厚くなっていって ますます孤独に陥っていく。 私はこの分厚い壁に囲まれた井戸から 一歩も出られないことを思う。 こんな規定で生きている人間なんて私しかいないということ。 私の考えていることなんて 誰もわかっちゃくれないのだ。 つづく ![]() ▲
by jyukushian
| 2015-02-06 00:33
| WEB版 熟柿庵だより
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「熟柿庵だより」を更新しました。 第101号です。
タイトルは 「年始めに」です。 今年、良い年になりますようにと 願いながら あまり明るくない話題ばかりを 列挙してしまう結果になりました。 自然の恐ろしさ、人間の作り出す不調和 などなど それから最後に 私のお気に入りのテレビ番組をご紹介いたしました。 番組名は「バリバラ」 NHK(Eテレ)が毎週、金曜日に放送している 障害者の情報番組です。 この番組のご紹介をして みなさんに 一度ご覧いただきたいと思って紹介いたしました。 興味を持っていただける方は HPの「熟柿庵だより」のコーナーをクリックしてみてください。 ![]() ![]() ▲
by jyukushian
| 2015-02-03 00:53
| WEB版 熟柿庵だより
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