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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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このところ
一日おきに井上さんの見舞いに行っている。 体力も日ごと落ちているのがよくわかる。 点滴も計器もすべてはずされていた。 あとは死を待つだけ。 手のひらも、口の中も皮がぼろぼろむけてきた。 少しずつ愚痴も出始めてきた。 井上さん もう肉体を持ち続けていることがつらいのですか。 そう。 飲んだものも気持ち悪くなってすぐ吐いちゃう 生きているのがつらいわ お医者さんは、約束を破ったのよ 今月中に頭をボーとさせて静かに死なせてくれると 約束したのに。 何で生きてなきゃいけないのよ 窓から飛び降りてやろうかしら 井上さん 死ぬ時期は誰にも決められないですよ 任せるしかないですよ それにさ 井上さんが亡くなったら私も孫も悲しむよ 早晩その時が来るのはわかっているけど 死にたいなんて云わないでよ 井上さんらしくないよ だけど ベッドの縁に必死でつかまっている姿を見ると 生きていることの辛さは私にも伝わってくる。 帰り際、 井上さんの言葉 「武田さん、お願いだから私が早く死ねるようにお祈りしといてね。」 馬鹿なことを云わないで下さい 井上さん あのね、この世では全て井上さんが仕切って 現実を生き抜いて 生きてきたんだろうけど 最後ぐらい仏様にお任せしたらどうですか 命の最後は仏様が決めるんだから。 私が井上さんの立場だったらと考えると とうてい偉そうなことは云えないけど 《 井上さんだからこそ 死の苦しみから逃げないでほしい 》 また来ますね 上記のロゴマークへの クリックをよろしく お願いします #
by jyukushian
| 2008-04-30 23:51
| WEB版 熟柿庵だより
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息子は
昨年、大学に入学した。 専攻は哲学、それもインド哲学。 一年かけてドイツ語に没頭していたようだが 今年から古代インドのサンスクリット語も習い始めると言う。 息子がインド哲学を学び始める直接のきっかけになったのは 宮元啓一氏の本に触発されてのことだという。 だけど中学時代から、 自由とは何かとか、生きるとはどういうことかとか 時間とはなにかとか、宇宙はどのように成り立っているかとか そんな根本的なテーマについての話を 私が息子にしてきたことも遠因としてあるような気がする。 息子もけっこう興味を持って聞いてくれていた。 それにしても哲学を専攻するとは、やはり驚きだった。 だけど父である私の本音は 哲学を学ぶ息子に期待している。 例えば 経済学ならば、世の中は今、金融社会で、お金の動きを理解すれば 人間の動き、世間の動きはある程度理解できる。 現代の世の中を分析することは充分できるのだ。 それだけで経済学を学ぶ価値は充分にある。 現実を生きていく方向性を人々に指し示すことができる。 そういう意味で経済学は役に立つ学問であるといえる。 あるいは法学部ならば 弁護士なり検事なりになって 大いに人の役に立つことができる。 そういう、ある意味で即効的に人の役に立つ学問は大学にはいっぱいある。 それなのに息子は哲学を選んだ。 一見 何の役にも立ちそうにない哲学。 ある意味、大学のなかで一番肩身の狭い学科かもしれない。 総合大学のなかでもどんどん消えつつある学科だという。 教授の人数も減らされ、予算も減らされていると言う。 だけど私は密かに、 息子が学ぼうとしている哲学に期待している。 私たちは今、どういう時代を生きているのか 人類の生きてきた道は正しかったのか、軌道修正が必要なのか 私たちが今生きているこの時代を 哲学というはしごに昇って 一番高いところから俯瞰(ふかん)して眺めてほしい。 そして私たちの時代のありさまを 私たちに解き明かしてほしい インド哲学という大昔の哲学を武器にして 今という時代を、 今は一体どういう時代であるのか 歴史の流れの中で どういう位置にいるのか それらを父である私に説いてほしい それは直接には社会の何の役にも立たないだろう。 だけどみんなその答えを求めていると思う。 その答えを 一回きりの人生の時間だけでは足りないだろうけれど 息子なりに出してみてほしい そのことを 心から願っている。 上記のロゴマークへの クリックをよろしく お願いします #
by jyukushian
| 2008-04-28 18:24
| WEB版 熟柿庵だより
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人間同士お互いが理解し合うにしても
今まで述べてきたのと同様の努力をしなければなりません。 互いに理解し合おうとする夫と妻は それぞれの身になって考え、行動するのです。 そうでなければ本当の理解は生まれてきません。 愛するということは 瞑想の眼をもって考える時 互いの理解なくしては成り立たないものなのです。 あなたは相手を理解せずして、その人を愛することはできません。 もしあなたが 相手のことを理解せず、しかも愛していると思っているなら それは間違いです。 それは愛ではありません。なにか他のものなのです。 観音菩薩が瞑想されたのは 五蘊のなかへ深く一体化するためです。 色、受、想、行、識という人間の命を構成している五つの川、五蘊について 沈思され、これら五蘊がことごとく実態をもたないもの〔空)であることを 発見されたのです。 そして瞬時にしてすべての苦悩を克服されたのです。 私たちが 本当にすべての苦悩から解放された自由な命の境地に至りたいと 願うのならば、 ありとあらゆるものは実体をもたないという信実のありようと一体化 しなければなりません。 そしてそのためには もっともっと熟視する必要があります。 ~~~~~「理解のこころ」より~~~~~ もし ほんとうに相手の身になって考えることができたら きっと相手の全てを許すことができるでしょう 喧嘩だってなくなり 国同士であれば戦争だってなくなり すべてが平和になるに違いない 私が 私の意見をもち、私の考えをもち、自分の個性を主張しようとすれば このほんとうの理解は成り立たない。 それはすなわち 西洋で成立してきた自我あるいは個というものの存在を否定することになるのだから。 私たちは 今まで長年教育を受けて 自我の確立をまなんできたのではなかったか。 仏教はその自我を否定しなければ ほんとうの幸せと平和は訪れないと説いている。 上記のロゴマークへの クリックをよろしく お願いします #
by jyukushian
| 2008-04-24 22:16
| ティック・ナット・ハン氏
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死にゆく井上さんのことを考えたり
仏教のことを考えたり 法事に出かけて お経をよんで 檀家さんとお話したり 憎たらしい人のことを思い返しては あらためて憎んだり 今生きている時代のことを考えたり 死んでいった親友の木村君のことを思い出したり 白髪が増えつつある自分の姿を鏡で確認したり そろそろ止めなきゃと思いながら相変わらずタバコを吸っていたり 夜になると酒を呑んで気持ちを解放させたり テレビを観ては、ああだこうだと一人で思いをめぐらしたり 私が生きている理由は何だっけと真面目に考えて そうだ、浄土真宗を理解することだったんだと思って そして あらためて 阿弥陀如来ってなんだっけと考えてみたり 毎日のように古代のインド哲学書を読んで にやにやしたり ああ、今、私がパニック障害になんかなっていなかったら 飛行機に乗れていたら たぶん日本には、いないだろうな 外国を相変わらずうろつき回っているだろうななどと思ったり 人生って不思議だなって思ったり 今の自分は10年前の自分と変わらないなと思ったり いやいや、10年前の自分とはまるっきり変わっちゃったなと思ったり この頃は そんなことを考えならが夜になって 今、練習中の憂歌団の「ザ。演歌」という歌を ひとり、フォークギターを奏でながら歌っています。 《 ざ・演歌 》 むらさきい色の夕暮れが 心濡らす頃 おれはお前と二人 いっぱい飲み屋 ビールにしようかお酒にしよう それとも焼酎 ぐっとグラスを干せば ああ いい気持ち 酔っ払って云うのじゃないけれど 俺はお前と俺はお前といれば それで天国 だから このまま 今夜は二人 赤いパンツがさざ波に揺られて歩く 夜空 咲いた花もきらきらと 昔のことは 桃太郎 それともやっぱり金太郎 泣いて別れた散歩道 とぼとぼと 酔っ払って云うのじゃないけれど 始めて会ったその日から 好きさ愛してる だからこのまま 今夜は二人 酔っ払って云うのじゃないけれど ダイヤモンドでも車でも ダイヤモンドでも車でも何でも買ってやる だから 頼むから 今夜はふたり・・・ 上記のロゴマークへの クリックをよろしく お願いします #
by jyukushian
| 2008-04-22 22:56
| WEB版 熟柿庵だより
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お医者さんによると
井上さんは間もなく死にます。 本人もそのことを知っています。 今日、見舞いにいってきました。 意外に元気そうでした。 死を前にして眠れるのですか 自分が死ぬということをどう考えて受け入れているのですか? ストレートに聞いてみました。 あなたは坊主だから 私に、死ぬことを悲しく思わせようとしてるんでしょ 私に、死ぬことを厳粛に受け止めようとさせようとしてるんでしょ そうはいかないわよ。 死ぬって怖くないのよ 病気で治る見込みがなくて 生きていてもしかたないでしょ 病院でまずいものを食べさせられて 体じゅうかゆいし 動けないし いいこと何もないし だから くたばってもいいの 井上さん それって あまりにも いさぎよすぎないですか いさぎよいとか そういう問題ではないの そう思っているだけ 未練がましく 見苦しい姿をさらして死んでいったら ああ、 やっぱり 井上さんも普通の人だったなんて 思われるのも 癪だしさ 音楽もいらない 静かなのがいい 今さら 一年も二年も生き延びたくない 美味しいものも充分に食べたしね 自分の思いどおりの人生だったしね 井上さん それって 見送る人のことを考えてないよ だけどそんなことは 死に行く人に言えない 私は残り少ない日々を もう少し 井上さんから学びたい 最後に学ぶことは 井上さんの 死にゆくすがた きっと最後まで いさぎよいに違いないと思うけど 看取りたい 上記のロゴマークへの クリックをよろしく お願いします #
by jyukushian
| 2008-04-20 22:13
| WEB版 熟柿庵だより
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