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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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酔っ払い坊主は久しぶりに
再び例のライブハウスへ迷い込んだ。 入り口で千円払ったら、とつぜん手の甲にスタンプを押された。 これで出入り自由なんだそうな。 八畳ほどの小さな店は満員。 ステージでは頭だけの馬のぬいぐるみをかぶった男がドラムを演奏していた。 なんで馬のぬいぐるみなの? それが終わると異様な楽団がステージに上ってきた。 一人はサンタの赤い服装にロイドメガネに白髭を生やした男、 一人は学校から直行してきたような セーラー服をきた本物の女子高生、ピアニカを演奏していた。 別の女性はメガネをかけて何故か白いエプロンをした普通のおばさんふう。 太鼓をポコポコ叩いていた。そしてボーカルの男。 この四人がなにやら奇妙な音楽をかなで始めた。 なんなのだ この空間は。 この異様で、意味不明な歌詞の音楽と雰囲気。 ああ、思い出した。 これは寺山修二の演劇の世界そのものだ。 なにやらグロテスクで、キテレツで、どこか哀愁を感じさせてしまう。 そのむかし、田舎の祭りなどでやっていたなんでもありの見世物小屋。 僕はやるせないほどに楽しくなってきた。 僕のすぐそばで寺山修二の世界が繰り広げられている。 カウンターの中でニコニコしながら 水割りをつくっている男の子が僕に声をかけた。 「ぼく、日本人なんだけどニジェールといいます。よろしく お客さんも、なにかステージでやってください。大歓迎です」 ぼくの席の隣りには、黒の革ジャンに クサリを一杯つけた男がかっこつけてリズムを刻みながら酒飲んでいる。 ここはどこ? 精神の解放区? それとも無国籍地帯? #
by jyukushian
| 2007-12-22 23:44
| WEB版 熟柿庵だより
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ここ数年、お酒は基本的に一人で呑んでいます。
居酒屋さんへ一人で呑みに行くのは 最初の頃は気が引けましたが、 最近は慣れっこになっています。 好きなお酒を気兼ねせず、マイペースでじっくり味わいながら 美味しい肴で呑むのは、至福の時でもあります。 自分の考えが酒の勢いを借りてどんどん広がってきたりします。 自分のイマジネーションや思考が最大限に広がってとても楽しいです。 人目には、ひとり淋しく呑んでいるように見えるかもしれません。 だけど人目のことはもうこの年になればどうでもよくなります。 大切なことは、自分を楽しませること。 ひとりで充分自分を楽しませるワザをおぼえました。 たまにお店で、気のあった客と意気投合して ワイワイとお喋りしながら呑むこともあります。 それはそれでけっこう楽しいです。 そういう意味では、居酒屋さん(お酒をのませてくれる喫茶店も)は 私にとって居心地のいい出会いのサロンでもあります。 ときに人と出遭って、楽しいひと時を過ごして そしてまた一人に戻っていく、 これ、人生そのもののような気もします。 昨日、 久しぶりに3人で飲み会をやって美酒を交わしました。 気がついたら、11時ちかく。 4時間もお喋りしていました。 それでもまだ時間が足りないぐらいにお喋りしました。 人の話に耳を傾けながらお酒を呑む、 これもまた、脳を刺激し、お酒を美味しくする秘訣でもあります。 一人で呑むもよし、 お店で、たまたま出遭った客と呑むもよし、 気の合う人たちと一緒に呑むもよし、 なんだ 要するに呑めればいいのか? いいえ、そんなことはないです。 一人で呑んでいても、何人かと呑んでいても 不味い時は不味いし、つまらない時はつまらない。 美味しくお酒を呑むのは それなりのワザがいるのです。 これ、私にとって大切なワザです。 #
by jyukushian
| 2007-12-21 22:52
| WEB版 熟柿庵だより
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勘違いされるかもしれない。
わたしの述べていることは、あまりにも保守的であると。 今あるあり様を変えようとしないで、受け入れることばかり考えていると。 ハン氏の述べている、社会と関わり積極的に平和を求めていこうと言う考えと まったく逆ではないかと。 でも、それは的外れの指摘だと思う。 だけど今はそのことを言葉にして説明するつもりはない。 ただハン氏の言う、 「自らの心の中に平和をつくり得ずして、どうして人と平和と分かち合えるでしょう」 という言葉の重さを感じているだけだ。 わたしが本当に心から私自身を愛せるようになった時、 きっと私が何故生まれてきたのかに対する答えが、私だけが納得できる 言葉ないならない答えが出るのだろう。 他のだれであってもいけない、 あの二人こそが私の両親でなければならなかったのだ。 私の命があるのは今という時代、時でなければならなかったのだ。 私は今まで出遭ってきた人たちに出遭わなければならなかったのだ。 私の命は偶然の所産などでは決してない。 わたしは生まれるべくして、生まれてきたのである。 これ以上に私の命の意味を説明できるものが他にあるだろうか。 「仏説無量寿経」という経典のなかに、仏様がわたしたちに求めている願いとして、 四十八願というのがある。 それは私が本当の私に出遭ってほしいという願いそのものである。 この本に出遭えて心から良かったと思っている。 ハン氏は来年(1995年)の四月に日本に来られるとのことである。 機会があれば是非お会いして、私の心にすばらしいプレゼントをして下さったことに お礼を申し上げたい。 最後に、この本を私に紹介して下さったのは武田寛弘氏である。 氏は東京の小岩にある浄土真宗のお寺、真徳寺の前住職であり 永年にわたって私の先生でもある。 今も月に何度かの勉強会に参加し、 先生の話を聞き続けている。 以上が「理解のこころ」の訳者後書きとして書いた文章です。 もう13年以上もまえのことです。 若気のいたりで気負った表現もみられて少し恥ずかしい気にもなります。 だけど本書に対する基本的な思いは今も変わってはいません。 武田寛弘氏は一昨年、亡くなられました。 さて、次回から本文に入っていこうと思います。 #
by jyukushian
| 2007-12-14 00:33
| ティック・ナット・ハン氏
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彦根で4日間、忙しい日々を過ごし、
昨日の午後、東京へ戻ってまいりました。 一昨日の日曜に東京から連絡があって 月曜の夜に東京でお通夜とのことで、 それに間に合わせるために、その当日の朝6時に目覚め 部屋の後片付けをし、朝食をとって、大学に通う息子を起こし 朝食をつくってやって、8時半、彦根を出発しました。 渋滞になってお通夜に遅刻するといけないと思って 式場に直行しても大丈夫なように導師の衣装をみんな 車に詰め込んでの出発でした。 けっこう空いていて、130キロぐらいですっ飛ばして お陰でお通夜には間に合いました。 ちなみに、東名高速のサービスエリアはi今までに全て立ち寄っております。 そのなかのお勧めのレストランは下りの日本平(にほんだいら)サービスエリア。 けっこうおいしいです。 今日はそのお葬式を終えて 久しぶりに行きつけの喫茶店で美味しいビールで体を癒し、 やっと今自宅に帰ってきて一息ついています。 ああ、こんな小ぜわしくハードな生活、いつまで続けられるのかしら。 僧侶だったらもっと落ち着いた生活をしろっつーの。 さて、 このブログを書きながら、残り少ない年内にやるべきことと題して 思いついたことをメモ書きしております。 その一 あと一回、「熟柿庵だより」を書いて皆さんに発送したいなあ。 構想は出来上がっているからなんとか仕上げたい。 その二 アメリカのペンシルバニアで禅宗の道場をやっている尼僧のベナージュさんから カレンダーと手紙が届いていたので、お礼の返事を書かなきゃ。 その三 檀家さんから数通の手紙が届いていた。返事を書かなきゃ。 その四 ギリシアの友人のアタナシオスにカレンダーを送ってあげなきゃ。 これは毎年のこと 彼は今もパキスタンの少数民族カラッシュ族のために頑張っている。 その五 年内にインド人の知り合いが来日するので、 身元保証人になっている私はその準備もしなきゃいけない。 ああ、考え始めたらもっとやらなきゃいけないことが一杯あるような気がする。 わたしの一年は今年もこんなふうにあわただしく過ぎていくんかいな。 ああ、ああ、、、 #
by jyukushian
| 2007-12-12 00:04
| WEB版 熟柿庵だより
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今日から本院で立て込んで仕事がありますので
ブログは4日間ほどお休みします。 おやすみなさい、、、、。 #
by jyukushian
| 2007-12-06 09:52
| WEB版 熟柿庵だより
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