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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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きょう、26年ぶりにインド人のアマールと出会うことができました。
26年前、私がインド旅行をした時に 世話になったインド人のプラサドの3男坊です。 当時は彼はまだ2,3歳の坊やでした。それがこんなに大きくなって。 プラサドは10年近く前に40代で亡くなりました。 私は当時、彼のうちでとてもお世話になったのです。 それにこの夏、 私の息子がインドに行った時にとても良くしてくれたのでした。 というわけで、 こんかい、私は今までのお返しの意味も込めて、 アマールの保証人になって彼の世話をすることになりました。 彼を行きつけの喫茶店に連れて行き、 そのあと、私の先生のそのまた先生の法事があるので、 彼を連れて会場に行くことになりました。 世間はクリスマスで大賑わい。だけど 僧侶の私にとってイッツノットマイビシネスです。 法事が終わった後、みんなでパーティを開きました。 みんなアマールに関心が集中して、質問攻めにあいました。 アマールもけっこう楽しんでくれたようでした。 アマールはまだ20代のさわやかな青年です。 私もあまり気を使うことなく、自然な形で一日を過ごすことができました。 かれはあした友人のインド人が住んでいるという富山に出発します。 三ヶ月ほど、観光で滞在する予定なので、 ゆっくり日本を楽しんでいってくれることを期待しております。 ちなみに彼はインド人であるにもかかわらず、 父のプラサドが仏教徒だったものですから 仏教徒です。 アマールとは仏教の永遠の命という意味だそうです。 彼の兄は、驚くなかれ、シッダールタといいます。お釈迦様の本名なんです。 アマールは将来、ブッダガヤの貧しい人のために、 無料の学校を建てることが夢だそうです。 応援してあげようと思います。 #
by jyukushian
| 2007-12-26 00:39
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先日、熟柿庵だより68号を皆さんにお送りしました。
そのなかに、「今後もお便りをお送りしてよろしいですか」 という確認の葉書を同封しました。 そのお葉書が今、毎日送られてきています。 そのなかの通信欄に いろいろ書き込みをしてくださっています。 それを一枚一枚読むのが 今の私にとっては、とても楽しみです。 近況を書いてくださったり、 お便りの感想を書いてくださったり、 お一人、お一人のことを思い浮かべながら 楽しく読ませていただいています。 読みながら、これからも頑張ってお便りを続けていこうと 思いを新たにしております。 その中に、わざわざお手紙に現在の心境を綴って 送ってくださった方がおられました。 今年80歳になられた男性です。 人生の最後をどんな心境で生きていけばいいのか、 その思いを素直な文章に託して 表現しておられました。 最後まで、何かに向かって努力していきながら 最後を迎えればいいのか、 それとも日々淡々と過ごしていけばいいのか、 とても迷っておられる内容でした。 肉体の衰えの中で、自由に生を謳歌してして生きること、 それができれば理想なのだと思います。 ぼくは僕なりにその答えを これから、こしらえていかなければいけない。 人生の晩年をどのような心境で過ごすのか 僕の最後のテーマのひとつです。 #
by jyukushian
| 2007-12-24 23:33
| WEB版 熟柿庵だより
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酔っ払い坊主は久しぶりに
再び例のライブハウスへ迷い込んだ。 入り口で千円払ったら、とつぜん手の甲にスタンプを押された。 これで出入り自由なんだそうな。 八畳ほどの小さな店は満員。 ステージでは頭だけの馬のぬいぐるみをかぶった男がドラムを演奏していた。 なんで馬のぬいぐるみなの? それが終わると異様な楽団がステージに上ってきた。 一人はサンタの赤い服装にロイドメガネに白髭を生やした男、 一人は学校から直行してきたような セーラー服をきた本物の女子高生、ピアニカを演奏していた。 別の女性はメガネをかけて何故か白いエプロンをした普通のおばさんふう。 太鼓をポコポコ叩いていた。そしてボーカルの男。 この四人がなにやら奇妙な音楽をかなで始めた。 なんなのだ この空間は。 この異様で、意味不明な歌詞の音楽と雰囲気。 ああ、思い出した。 これは寺山修二の演劇の世界そのものだ。 なにやらグロテスクで、キテレツで、どこか哀愁を感じさせてしまう。 そのむかし、田舎の祭りなどでやっていたなんでもありの見世物小屋。 僕はやるせないほどに楽しくなってきた。 僕のすぐそばで寺山修二の世界が繰り広げられている。 カウンターの中でニコニコしながら 水割りをつくっている男の子が僕に声をかけた。 「ぼく、日本人なんだけどニジェールといいます。よろしく お客さんも、なにかステージでやってください。大歓迎です」 ぼくの席の隣りには、黒の革ジャンに クサリを一杯つけた男がかっこつけてリズムを刻みながら酒飲んでいる。 ここはどこ? 精神の解放区? それとも無国籍地帯? #
by jyukushian
| 2007-12-22 23:44
| WEB版 熟柿庵だより
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ここ数年、お酒は基本的に一人で呑んでいます。
居酒屋さんへ一人で呑みに行くのは 最初の頃は気が引けましたが、 最近は慣れっこになっています。 好きなお酒を気兼ねせず、マイペースでじっくり味わいながら 美味しい肴で呑むのは、至福の時でもあります。 自分の考えが酒の勢いを借りてどんどん広がってきたりします。 自分のイマジネーションや思考が最大限に広がってとても楽しいです。 人目には、ひとり淋しく呑んでいるように見えるかもしれません。 だけど人目のことはもうこの年になればどうでもよくなります。 大切なことは、自分を楽しませること。 ひとりで充分自分を楽しませるワザをおぼえました。 たまにお店で、気のあった客と意気投合して ワイワイとお喋りしながら呑むこともあります。 それはそれでけっこう楽しいです。 そういう意味では、居酒屋さん(お酒をのませてくれる喫茶店も)は 私にとって居心地のいい出会いのサロンでもあります。 ときに人と出遭って、楽しいひと時を過ごして そしてまた一人に戻っていく、 これ、人生そのもののような気もします。 昨日、 久しぶりに3人で飲み会をやって美酒を交わしました。 気がついたら、11時ちかく。 4時間もお喋りしていました。 それでもまだ時間が足りないぐらいにお喋りしました。 人の話に耳を傾けながらお酒を呑む、 これもまた、脳を刺激し、お酒を美味しくする秘訣でもあります。 一人で呑むもよし、 お店で、たまたま出遭った客と呑むもよし、 気の合う人たちと一緒に呑むもよし、 なんだ 要するに呑めればいいのか? いいえ、そんなことはないです。 一人で呑んでいても、何人かと呑んでいても 不味い時は不味いし、つまらない時はつまらない。 美味しくお酒を呑むのは それなりのワザがいるのです。 これ、私にとって大切なワザです。 #
by jyukushian
| 2007-12-21 22:52
| WEB版 熟柿庵だより
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勘違いされるかもしれない。
わたしの述べていることは、あまりにも保守的であると。 今あるあり様を変えようとしないで、受け入れることばかり考えていると。 ハン氏の述べている、社会と関わり積極的に平和を求めていこうと言う考えと まったく逆ではないかと。 でも、それは的外れの指摘だと思う。 だけど今はそのことを言葉にして説明するつもりはない。 ただハン氏の言う、 「自らの心の中に平和をつくり得ずして、どうして人と平和と分かち合えるでしょう」 という言葉の重さを感じているだけだ。 わたしが本当に心から私自身を愛せるようになった時、 きっと私が何故生まれてきたのかに対する答えが、私だけが納得できる 言葉ないならない答えが出るのだろう。 他のだれであってもいけない、 あの二人こそが私の両親でなければならなかったのだ。 私の命があるのは今という時代、時でなければならなかったのだ。 私は今まで出遭ってきた人たちに出遭わなければならなかったのだ。 私の命は偶然の所産などでは決してない。 わたしは生まれるべくして、生まれてきたのである。 これ以上に私の命の意味を説明できるものが他にあるだろうか。 「仏説無量寿経」という経典のなかに、仏様がわたしたちに求めている願いとして、 四十八願というのがある。 それは私が本当の私に出遭ってほしいという願いそのものである。 この本に出遭えて心から良かったと思っている。 ハン氏は来年(1995年)の四月に日本に来られるとのことである。 機会があれば是非お会いして、私の心にすばらしいプレゼントをして下さったことに お礼を申し上げたい。 最後に、この本を私に紹介して下さったのは武田寛弘氏である。 氏は東京の小岩にある浄土真宗のお寺、真徳寺の前住職であり 永年にわたって私の先生でもある。 今も月に何度かの勉強会に参加し、 先生の話を聞き続けている。 以上が「理解のこころ」の訳者後書きとして書いた文章です。 もう13年以上もまえのことです。 若気のいたりで気負った表現もみられて少し恥ずかしい気にもなります。 だけど本書に対する基本的な思いは今も変わってはいません。 武田寛弘氏は一昨年、亡くなられました。 さて、次回から本文に入っていこうと思います。 #
by jyukushian
| 2007-12-14 00:33
| ティック・ナット・ハン氏
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