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著 書
武田智亨 プロフィール
1951年 滋賀県生まれ。
1970年 本願寺で得度を受ける。大学卒業後、教職を経て1980年 中近東、中東、中国などを1年半にわたり放浪。 現在、浄土真宗 東京・熟柿庵 庵主、彦根・西福寺 住職。 著書に『中国ひとり旅』(連合出版)、『熟柿庵だより』(東京図書出版会)。翻訳書にジェシー・マッキニー著『車椅子の上の心』、ティック・ナット・ハン著『理解のこころ』などがある。 ![]() 東京・熟柿庵ホームページ リンク 逢人舎 ![]() ブログランキングへ 登録しました。 ↑ぜひ、応援クリックを お願いします。 記事ランキング
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突然、安部総理が辞任を表明いたしました。
驚きました。 原因はいろいろ考えられるようですが、 そのひとつにテロ特措法の問題が言われています。 この法律は、過激派のテロを軍事力で 押さえ込もうとするアメリカを支援する法律です。 イスラム教徒とはどんな人たちなのでしょう? 私は、かつてイスラム教の国をいくつか旅して周りました。 そこで見たイスラム教徒の人たちは 本当に心穏やかで親切な人ばかりでした。 トルコ共和国の田舎では、私がホテルを探していると、 見知らぬ人が私の手を取って案内してくれました。 結局、その人はホテルの場所を知らず、 他の人に聞いてやっとたどり着けたのですが、 旅人が困っているのをほっとけないのがイスラムの人たちなのです。 シリアではバザールを歩いているだけで私が旅人とわかると、 野菜や果物売りのお兄さんが「これもっていきな」とばかりに、 ジャガイモや果物を放り投げてくれました。 また、ある安ホテルで同室になったダマスカスの大学生は 彼は私の夕飯の世話までしてくれたのです。 ( 数年後、彼は戦死してしまったのですが ) 私の出遇ったイスラム教徒たちは とても心がオープンで人懐っこい人ばかりです。 そんなイスラム教徒の姿をアメリカは 本当に理解しているのでしょうか。 そして、アメリカによる強引な世界戦略は無かったと 本当に胸を張って言えるのでしょうか。 テロを止めさせるには彼らを理解し、 共存する方法を模索することがとても重要だと思います。 本来、穏やかで心優しいイスラム教の人々。 日本はアメリカとは違う方法でイスラムの国々と 接していくべきではないでしょうか。 日本の新しい首相にお願いがあります。 ぜひ、貧乏ひとり旅の格好で中東のイスラム諸国を旅してみてください。 私が歩いたバザールの心優しい笑顔に触れてみてください。 イスラム教徒の本当の姿が見えてくるに違いありません。 #
by jyukushian
| 2007-09-12 22:23
| WEB版 熟柿庵だより
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お盆がやっと終わりました。
一息ついております。 ところで、お盆というのは一般的に亡くなった方が この世に帰ってくる行事として考えられています。 ですから、亡くなった方は普段あの世にいると考えているわけです。 お骨やお位牌を大事にするのは、あの世にいる故人とこの世を つないでくれていると思うからです。 一方、仏教が生まれたインドでは、 死後をどのように考えているのでしょうか。 実は、インドでは今でも輪廻転生という考え方が一般的です。 つまり、人間は死んでしばらくしたら、 またこの世に生まれ変わってくるというのです。 ただし、人間に生まれるか他の動物になって 生まれ変わるか、それはわからない。 要するに、死んでもあの世に留まってはいないということです。 この世に舞い戻って何かの生き物として生きているというわけです。 これが輪廻転生の考え方です。 ですからインドでは、お骨は抜け殻と考え大事にしたりはしません。 ガンジス川に捨てるのです。 確かに私が見たとき… ガンジス川の川底はお骨の色で白かったです。 私が死んだら、 あの世で暮らして、年に一度お盆にこの世に帰ってくるのがいいのか それとも、別の生き物になってこの世に舞い戻ってくるのがいいのか なかなか興味深い設問ではあります。 #
by jyukushian
| 2007-08-25 09:48
| WEB版 熟柿庵だより
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つい先日、作家であり、かつてのべ平連の活動家であった
小田実さんが亡くなりました。 植木等さんが亡くなったのも今年のことです。 以前だったら、ああ、あの有名人が亡くなったのかと ふっと思うだけで終わったのですが、このごろやけに身に沁みます。 私と同時代を生きた人が亡くなっていく寂しさを思うのです。 もちろん身近な人も何人も亡くなっているのですが、 有名人の死はちょっと違った感慨があります。 若い頃、小田実さんの「なんでも見てやろう」という本を読んで、とても影響を受けました。 「いつか私も・・・」という思いをもったものです。 植木等さんはクレージーキャッツとともに、私の青春時代を和ませてくれました。 みんな、私の人格形成に大いに関わってくれた人たちでした。 そういった有名人が亡くなっていくということは、 その人たちに関わった私の人格もともに消えていくような気になります。 これから私は、ますますそういった有名人の訃報に接していくことになるのでしょう。 これも私が年を取っていくことの淋しさの実感です。 淋しさを感じることも人生という旅のひとつの通過儀礼に違いありません。 大切な人生のひとこまです。 #
by jyukushian
| 2007-08-22 10:00
| WEB版 熟柿庵だより
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もう、すでにお気づきの方もおられるかもしれません。
このブログのタイトルは 通常みなさんがお使いの漢字“ 出会う ”ではありません。 どうして“ 出遇う ”なのでしょうか。 それは仏教の教えから来ています。 “ 人と人が出会う ”“ 人が何かとめぐり逢う ”ことは 測り知れないほどの様々な偶然が重なり合っています。 こうしてみなさんが私の書いたものを 読んでくださっていることも、素敵な“ 偶然 ”です。 そうした『 偉大なる偶然 』への感謝を込めて 「偶然に会う」ことを意味する“ 遇う ”という文字を使いました。 みなさんと一緒に、この“ 出遇い ”を 心から喜び合いたいのです。 ようこそ、私のブログへ 合掌 #
by jyukushian
| 2007-08-11 14:51
| 「出遇う」という字
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はじめまして、私の名前は武田智亨(“ちきょう”と読みます)。
浄土真宗の僧侶です。 ブログをグローブと勘違いしていた男が、ブログを始めることにしました。 本当はツバキが飛びあうぐらいの距離で、 いろんな人と互いの息遣いを感じながら、 時には表情を探りあいながら語り合えたら、 それに越したことはないと思います。 だけど、文字にされた言葉も捨てたものではありません。 声に出して言えなかった思いが文字にすることで、 表現できることだってあります。 人間を前にしたら話せなくなってしまうようなことも、 この場で表現できるということもあるでしょう。 仏教には様々な物語や教えがあります。 僧侶の私だって生身の人間です。時には悩んだりもします。 そのような時、仏教がどんなふうに私の支えになってくれるのか、 私を励ましてくれるのか、私に生きる力を与えてくれるのか、 などと考えたりしています。 仏教は日々の生活から出てきた、生きていくための素敵な参考書です。 ここでは、私自身の日々の暮らしと仏教との接点を 綴っていきたいと思っています。 そして、皆さんと気持ちを分かち合えてゆければ、 ほんとうに素晴らしいことです。 いろんな人との出会いを楽しみに、さて旅立ちです。 合掌 #
by jyukushian
| 2007-08-09 00:29
| WEB版 熟柿庵だより
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